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出版社名:水声社
出版年月:2026年4月
ISBN:978-4-8010-1006-2
415P 20cm
映画における演劇性とは何か/水声文庫
矢橋透/著
組合員価格 税込
3,960
円
(通常価格 税込 4,400円)
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内容紹介・もくじなど
〈演劇性=テアトラリテ〉によって映画を革新してきた巨匠たちを映画史上のひとつの系譜とみなし、その端緒から現在までを連関的に描き出す画期的な試み。
もくじ情報:演劇性の映画史;第1部(セカイの起源―ジャン・ルノワール論 前篇;セカイの起源―ジャン・ルノワール論 中篇;セカイの起源―ジャン・ルノワール論 後篇);第2部(ATG映画における演劇性(一)―大島渚論;ATG映画における演劇性(二)―吉田喜重論;パンデミックとしての映画/演劇―寺山修司論);第3部(別れと出会いの世界劇場―ウォン・カーウァイ論;台北クロニクル―エドワード・ヤン論;新たな邂逅に向かって―濱口竜介『ドライブ・マイ・カー』論)
〈演劇性=テアトラリテ〉によって映画を革新してきた巨匠たちを映画史上のひとつの系譜とみなし、その端緒から現在までを連関的に描き出す画期的な試み。
もくじ情報:演劇性の映画史;第1部(セカイの起源―ジャン・ルノワール論 前篇;セカイの起源―ジャン・ルノワール論 中篇;セカイの起源―ジャン・ルノワール論 後篇);第2部(ATG映画における演劇性(一)―大島渚論;ATG映画における演劇性(二)―吉田喜重論;パンデミックとしての映画/演劇―寺山修司論);第3部(別れと出会いの世界劇場―ウォン・カーウァイ論;台北クロニクル―エドワード・ヤン論;新たな邂逅に向かって―濱口竜介『ドライブ・マイ・カー』論)
著者プロフィール
矢橋 透(ヤバセ トオル)
1957年、鎌倉市に生まれる。筑波大学第二学群比較文化学類、同大学大学院博士課程文芸・言語研究科で学ぶ。博士(文学)。岐阜大学名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
矢橋 透(ヤバセ トオル)
1957年、鎌倉市に生まれる。筑波大学第二学群比較文化学類、同大学大学院博士課程文芸・言語研究科で学ぶ。博士(文学)。岐阜大学名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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もくじ情報:演劇性の映画史;第1部(セカイの起源―ジャン・ルノワール論 前篇;セカイの起源―ジャン・ルノワール論 中篇;セカイの起源―ジャン・ルノワール論 後篇);第2部(ATG映画における演劇性(一)―大島渚論;ATG映画における演劇性(二)―吉田喜重論;パンデミックとしての映画/演劇―寺山修司論);第3部(別れと出会いの世界劇場―ウォン・カーウァイ論;台北クロニクル―エドワード・ヤン論;新たな邂逅に向かって―濱口竜介『ドライブ・マイ・カー』論)
もくじ情報:演劇性の映画史;第1部(セカイの起源―ジャン・ルノワール論 前篇;セカイの起源―ジャン・ルノワール論 中篇;セカイの起源―ジャン・ルノワール論 後篇);第2部(ATG映画における演劇性(一)―大島渚論;ATG映画における演劇性(二)―吉田喜重論;パンデミックとしての映画/演劇―寺山修司論);第3部(別れと出会いの世界劇場―ウォン・カーウァイ論;台北クロニクル―エドワード・ヤン論;新たな邂逅に向かって―濱口竜介『ドライブ・マイ・カー』論)