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日本古代史
出版社名:新泉社
出版年月:2026年7月
ISBN:978-4-7877-2602-5
158P 21cm
聖武天皇の恭仁宮 未完の都の実像をさぐる
京都府教育委員会/編
組合員価格 税込
2,277
円
(通常価格 税込 2,530円)
割引率 10%
在庫あり
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内容紹介・もくじなど
内容紹介:「朕意(おも)うところあるによりて、今月の末しばらく関の東に往かん」天平12年10月の勅に始まり、およそ5年間、聖武天皇は平城京を離れ、恭仁京・難波京・紫香楽宮を転々とし、遷都を繰り返した。「彷徨5年」とも称される聖武の行動の真意は一体なんだったのか?京都府教育委員会がおこなってきた50年以上にわたる恭仁宮跡の発掘調査成果によって、おぼろげながらみえてきた恭仁宮の実像から、聖武天皇「彷徨5年」を考える。
特別史跡・恭仁宮跡。狭すぎる宮域、二つの内裏、朝堂のない朝堂院、独自の瓦生産体制、遷都後わずか3年での造営停止…発掘調査でおぼろげながらみえてきた恭仁宮の実態から、「彷徨5年」を考え…(
続く
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内容紹介:「朕意(おも)うところあるによりて、今月の末しばらく関の東に往かん」天平12年10月の勅に始まり、およそ5年間、聖武天皇は平城京を離れ、恭仁京・難波京・紫香楽宮を転々とし、遷都を繰り返した。「彷徨5年」とも称される聖武の行動の真意は一体なんだったのか?京都府教育委員会がおこなってきた50年以上にわたる恭仁宮跡の発掘調査成果によって、おぼろげながらみえてきた恭仁宮の実像から、聖武天皇「彷徨5年」を考える。
特別史跡・恭仁宮跡。狭すぎる宮域、二つの内裏、朝堂のない朝堂院、独自の瓦生産体制、遷都後わずか3年での造営停止…発掘調査でおぼろげながらみえてきた恭仁宮の実態から、「彷徨5年」を考える。聖武天皇は、なぜ遷都を断行したのか?50年以上にわたる発掘調査の成果から恭仁宮の実態解明に挑む。「朕意うところあるによりて、今月の末しばらく関の東に往かん」天平12年10月の勅に始まり、およそ5年間、聖武天皇は平城京を離れ恭仁京・難波京・紫香楽宮を転々とし、遷都を繰り返した。「彷徨5年」とも称される聖武天皇の行動の意図はなにか。
もくじ情報:恭仁宮の章(「彷徨五年」のはじまり;忘れられた都;狭小な宮域;類例のない構造;造営工事のゆくえ;「二つの内裏」の謎;異例の元日朝賀;大極殿の引っ越し;未完の大垣;天平の甍;独自の瓦生産事情;聖武天皇の首都構想;「皇都」難波宮へ;大仏造立の都・紫香楽宮へ;再び、平城京へ;恭仁宮から山城国分寺へ);恭仁京の章(恭仁京の発掘調査;恭仁「京」のかたち;遷都前夜の“くに”;都を支える生産活動;木津川の水運と都;恭仁京が伝える天平の仏教;橘諸兄と恭仁京;万葉歌のなかの恭仁京)
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特別史跡・恭仁宮跡。狭すぎる宮域、二つの内裏、朝堂のない朝堂院、独自の瓦生産体制、遷都後わずか3年での造営停止…発掘調査でおぼろげながらみえてきた恭仁宮の実態から、「彷徨5年」を考え…(続く)
特別史跡・恭仁宮跡。狭すぎる宮域、二つの内裏、朝堂のない朝堂院、独自の瓦生産体制、遷都後わずか3年での造営停止…発掘調査でおぼろげながらみえてきた恭仁宮の実態から、「彷徨5年」を考える。聖武天皇は、なぜ遷都を断行したのか?50年以上にわたる発掘調査の成果から恭仁宮の実態解明に挑む。「朕意うところあるによりて、今月の末しばらく関の東に往かん」天平12年10月の勅に始まり、およそ5年間、聖武天皇は平城京を離れ恭仁京・難波京・紫香楽宮を転々とし、遷都を繰り返した。「彷徨5年」とも称される聖武天皇の行動の意図はなにか。
もくじ情報:恭仁宮の章(「彷徨五年」のはじまり;忘れられた都;狭小な宮域;類例のない構造;造営工事のゆくえ;「二つの内裏」の謎;異例の元日朝賀;大極殿の引っ越し;未完の大垣;天平の甍;独自の瓦生産事情;聖武天皇の首都構想;「皇都」難波宮へ;大仏造立の都・紫香楽宮へ;再び、平城京へ;恭仁宮から山城国分寺へ);恭仁京の章(恭仁京の発掘調査;恭仁「京」のかたち;遷都前夜の“くに”;都を支える生産活動;木津川の水運と都;恭仁京が伝える天平の仏教;橘諸兄と恭仁京;万葉歌のなかの恭仁京)