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映画エッセイ
出版社名:草思社
出版年月:2001年12月
ISBN:978-4-7942-1095-1
277P 22cm
映画美術に賭けた男
中村公彦/著 岩本憲児/編 佐伯知紀/編
組合員価格 税込
2,475
円
(通常価格 税込 2,750円)
割引率 10%
在庫あり
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※ご注文が集中した場合、お届けが遅れる場合がございます。
川島雄三や木下恵介の美術で数々の名作映画を手がけた著者の映画人生・美術監督の世界。写真多数。
川島雄三や木下恵介の美術で数々の名作映画を手がけた著者の映画人生・美術監督の世界。写真多数。
内容紹介・もくじなど
製作日数は短いけれど、贅を尽くしたセット―1952年から1970年、113本の映画作品の美術に創意を凝らした美術監督・中村公彦。松竹から日活へとその輝かしい業績をたどりながら、名作、名監督を映画美術を通して縦横に語り尽くす。黄金期日本映画を支えた美術の世界が、貴重な写真、図版とともに蘇る。
もくじ情報:第1章 舞台美術の世界へ;第2章 美術監督の仕事;第3章 松竹・大船撮影所へ―小林正樹、木下恵介とともに;第4章 日活・調布撮影所へ―川島雄三とともに;第5章 今村昌平とともに;第6章 井上梅次・松尾昭典とともに;おわりに 映画美術からインテリア・デザインへ
製作日数は短いけれど、贅を尽くしたセット―1952年から1970年、113本の映画作品の美術に創意を凝らした美術監督・中村公彦。松竹から日活へとその輝かしい業績をたどりながら、名作、名監督を映画美術を通して縦横に語り尽くす。黄金期日本映画を支えた美術の世界が、貴重な写真、図版とともに蘇る。
もくじ情報:第1章 舞台美術の世界へ;第2章 美術監督の仕事;第3章 松竹・大船撮影所へ―小林正樹、木下恵介とともに;第4章 日活・調布撮影所へ―川島雄三とともに;第5章 今村昌平とともに;第6章 井上梅次・松尾昭典とともに;おわりに 映画美術からインテリア・デザインへ
著者プロフィール
中村 公彦(ナカムラ キミヒコ)
1916年、熊本市生まれ。1937年、早稲田大学商科卒業後、三菱重工業に勤務。戦後、「ムーラン・ルージュ」で軽演劇の舞台美術を手がけた後、1951年、松竹大船撮影所に入社。1954年、日活調布撮影所に移籍。1970年『牡丹と竜』を最後にフリーとなり、インテリア・デザインなども手がける。(協)日本映画・テレビ美術監督協会会員
中村 公彦(ナカムラ キミヒコ)
1916年、熊本市生まれ。1937年、早稲田大学商科卒業後、三菱重工業に勤務。戦後、「ムーラン・ルージュ」で軽演劇の舞台美術を手がけた後、1951年、松竹大船撮影所に入社。1954年、日活調布撮影所に移籍。1970年『牡丹と竜』を最後にフリーとなり、インテリア・デザインなども手がける。(協)日本映画・テレビ美術監督協会会員
もくじ情報:第1章 舞台美術の世界へ;第2章 美術監督の仕事;第3章 松竹・大船撮影所へ―小林正樹、木下恵介とともに;第4章 日活・調布撮影所へ―川島雄三とともに;第5章 今村昌平とともに;第6章 井上梅次・松尾昭典とともに;おわりに 映画美術からインテリア・デザインへ
もくじ情報:第1章 舞台美術の世界へ;第2章 美術監督の仕事;第3章 松竹・大船撮影所へ―小林正樹、木下恵介とともに;第4章 日活・調布撮影所へ―川島雄三とともに;第5章 今村昌平とともに;第6章 井上梅次・松尾昭典とともに;おわりに 映画美術からインテリア・デザインへ
1916年、熊本市生まれ。1937年、早稲田大学商科卒業後、三菱重工業に勤務。戦後、「ムーラン・ルージュ」で軽演劇の舞台美術を手がけた後、1951年、松竹大船撮影所に入社。1954年、日活調布撮影所に移籍。1970年『牡丹と竜』を最後にフリーとなり、インテリア・デザインなども手がける。(協)日本映画・テレビ美術監督協会会員
1916年、熊本市生まれ。1937年、早稲田大学商科卒業後、三菱重工業に勤務。戦後、「ムーラン・ルージュ」で軽演劇の舞台美術を手がけた後、1951年、松竹大船撮影所に入社。1954年、日活調布撮影所に移籍。1970年『牡丹と竜』を最後にフリーとなり、インテリア・デザインなども手がける。(協)日本映画・テレビ美術監督協会会員