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学術・教養文庫その他
出版社名:新学社
出版年月:2004年6月
ISBN:978-4-7868-0086-3
327P 16cm
河井寛次郎/棟方志功/近代浪漫派文庫 28
河井寛次郎/著 棟方志功/著
組合員価格 税込
1,293
円
(通常価格 税込 1,436円)
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内容紹介・もくじなど
もくじ情報:六十年前の今(抄)(河井寛次郎)(吉太と先生;春は近づく;垣はいつ作られるか;社日桜;人狐のいぶき ほか);板響神(抄)(棟方志功)(生活美し;「万鉄」の絵心;絵とわたくしと板画;笛鷹と侫武多;津軽白煮 ほか)
もくじ情報:六十年前の今(抄)(河井寛次郎)(吉太と先生;春は近づく;垣はいつ作られるか;社日桜;人狐のいぶき ほか);板響神(抄)(棟方志功)(生活美し;「万鉄」の絵心;絵とわたくしと板画;笛鷹と侫武多;津軽白煮 ほか)
著者プロフィール
河井 寛次郎(カワイ カンジロウ)
明治23年、島根県に生れる。中学の頃から陶芸の道に入ることを念とし、大正3年に京都市陶磁器試験場の技手となって釉薬、技法の研究を進めるなかで、作品展に出品するようになったのが、同10年はじめて催した個展で一躍名を知られる。その後は柳宗悦らと民芸運動を率いる一方、制作に工夫を重ねては、華麗で斬新な秀作を次々に生み、戦後に至って大胆な上に奔放さを加えた業は、国際的な評価を受けた。その独創性で、紛れもなく一人の作家であったが、作品が近代陶芸における金字塔となったのは、それが同時に民族の造型そのものだったことによる。昭和41年に歿
河井 寛次郎(カワイ カンジロウ)
明治23年、島根県に生れる。中学の頃から陶芸の道に入ることを念とし、大正3年に京都市陶磁器試験場の技手となって釉薬、技法の研究を進めるなかで、作品展に出品するようになったのが、同10年はじめて催した個展で一躍名を知られる。その後は柳宗悦らと民芸運動を率いる一方、制作に工夫を重ねては、華麗で斬新な秀作を次々に生み、戦後に至って大胆な上に奔放さを加えた業は、国際的な評価を受けた。その独創性で、紛れもなく一人の作家であったが、作品が近代陶芸における金字塔となったのは、それが同時に民族の造型そのものだったことによる。昭和41年に歿
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明治23年、島根県に生れる。中学の頃から陶芸の道に入ることを念とし、大正3年に京都市陶磁器試験場の技手となって釉薬、技法の研究を進めるなかで、作品展に出品するようになったのが、同10年はじめて催した個展で一躍名を知られる。その後は柳宗悦らと民芸運動を率いる一方、制作に工夫を重ねては、華麗で斬新な秀作を次々に生み、戦後に至って大胆な上に奔放さを加えた業は、国際的な評価を受けた。その独創性で、紛れもなく一人の作家であったが、作品が近代陶芸における金字塔となったのは、それが同時に民族の造型そのものだったことによる。昭和41年に歿
明治23年、島根県に生れる。中学の頃から陶芸の道に入ることを念とし、大正3年に京都市陶磁器試験場の技手となって釉薬、技法の研究を進めるなかで、作品展に出品するようになったのが、同10年はじめて催した個展で一躍名を知られる。その後は柳宗悦らと民芸運動を率いる一方、制作に工夫を重ねては、華麗で斬新な秀作を次々に生み、戦後に至って大胆な上に奔放さを加えた業は、国際的な評価を受けた。その独創性で、紛れもなく一人の作家であったが、作品が近代陶芸における金字塔となったのは、それが同時に民族の造型そのものだったことによる。昭和41年に歿