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出版社名:雄山閣
出版年月:2009年8月
ISBN:978-4-639-02098-1
177P 21cm
泰緬鉄道からの生還 ある英国兵が命をかけて綴った捕虜日記 一九四二~一九四五
アルバート・モートン/著 ディビット・モートン/監修 チームPOW/訳
組合員価格 税込
2,926
円
(通常価格 税込 3,080円)
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内容紹介・もくじなど
1942年8月から1943年10月までの僅か一年余りの間に、約6万人の連合軍戦争捕虜と約20万人のアジア人が、タイのノーン・プラードゥクとビルマのダンビユザヤを結ぶ415キロの鉄道を敷設するため、日本軍によって強制労働に従事させられた。イギリス軍兵士の著者は1942年2月にシンガポールで捕えられ、タイ駐留日本軍の捕虜となり、いわゆる死の鉄道を建設するために強制的に働かされたが、3年半をどうにか生き延びることができた。この間、没収され罰せられる危険性がある中、日記を書き綴り、数々のスケッチを描き、戦後イギリスに持ち帰った。この本はその日本語訳である。
もくじ情報:一冊目の日記―一九四二年一一月四…(
続く
)
1942年8月から1943年10月までの僅か一年余りの間に、約6万人の連合軍戦争捕虜と約20万人のアジア人が、タイのノーン・プラードゥクとビルマのダンビユザヤを結ぶ415キロの鉄道を敷設するため、日本軍によって強制労働に従事させられた。イギリス軍兵士の著者は1942年2月にシンガポールで捕えられ、タイ駐留日本軍の捕虜となり、いわゆる死の鉄道を建設するために強制的に働かされたが、3年半をどうにか生き延びることができた。この間、没収され罰せられる危険性がある中、日記を書き綴り、数々のスケッチを描き、戦後イギリスに持ち帰った。この本はその日本語訳である。
もくじ情報:一冊目の日記―一九四二年一一月四日~一九四四年六月一三日;二冊目の日記―一九四四年六月一三日~一九四五年三月一日;三冊目の日記―一九四五年三月三日~一九四五年一〇月二七日(一九四五年二月二日~一九四五年一二月二九日も含む);帰国までのルート:一九四五年;その後のアルバート・モートン
著者プロフィール
モートン,アルバート(モートン,アルバート)
1910年8月10日、ポルトガルのリスボン生れ。日本軍の戦争捕虜となっていた1942年から1945年までの期間に密かに三冊の小さな日記を綴った。1983年に死去。1932年、22歳でイギリス陸軍に入隊、2年後インドに派兵された
モートン,アルバート(モートン,アルバート)
1910年8月10日、ポルトガルのリスボン生れ。日本軍の戦争捕虜となっていた1942年から1945年までの期間に密かに三冊の小さな日記を綴った。1983年に死去。1932年、22歳でイギリス陸軍に入隊、2年後インドに派兵された
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もくじ情報:一冊目の日記―一九四二年一一月四日~一九四四年六月一三日;二冊目の日記―一九四四年六月一三日~一九四五年三月一日;三冊目の日記―一九四五年三月三日~一九四五年一〇月二七日(一九四五年二月二日~一九四五年一二月二九日も含む);帰国までのルート:一九四五年;その後のアルバート・モートン