ようこそ!
マイページ
ご利用ガイド
組合員情報の変更
メールアドレスの変更
ログイン
サイトトップ
e
フレンズトップ
すべて
本
雑誌
CD
DVD・Blu-ray
クリア
本 こだわり検索
書名
著者名
商品説明
出版社名
出版年月
―
2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
2011
2010
2009
2008
2007
2006
2005
2004
2003
2002
2001
2000
1999
1998
1997
1996
1995
1994
1993
1992
1991
1990
1989
1988
1987
1986
1985
1984
1983
1982
年
―
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
月
以前
のみ
以降
ジャンル
選択してください
文庫
新書・選書
文芸
教養
人文
教育
芸術
児童
趣味
生活
地図・ガイド
就職・資格
語学
小学学参
中学学参
高校学参
辞典
コミック
ゲーム攻略本
エンターテイメント
日記手帳
社会
法律
経済
経営
ビジネス
理学
工学
コンピュータ
医学
看護学
薬学
ISBNコード
予約商品を表示しない
検索
クリア
本 >
文庫
>
日本文学
>
角川文庫ソフィア
出版社名:KADOKAWA
出版年月:2018年8月
ISBN:978-4-04-400412-5
582P 15cm
橋本多佳子全句集/角川ソフィア文庫 D117-1
橋本多佳子/〔著〕
組合員価格 税込
1,426
円
(通常価格 税込 1,584円)
割引率 10%
在庫あり
生協宅配にてお届け
※ご注文が集中した場合、お届けが遅れる場合がございます。
女流俳人として圧倒的人気を誇る橋本多佳子、初の文庫版全句集!自句自解付 「雪はげし抱かれて息のつまりしこと」ときに情念深く、ときに非情。その底に宿る可笑しみ――。全五句集に補遺、貴重な自句自解、師・山口誓子による解説を収録する初の文庫版全句集!新解説・小池昌代
女流俳人として圧倒的人気を誇る橋本多佳子、初の文庫版全句集!自句自解付 「雪はげし抱かれて息のつまりしこと」ときに情念深く、ときに非情。その底に宿る可笑しみ――。全五句集に補遺、貴重な自句自解、師・山口誓子による解説を収録する初の文庫版全句集!新解説・小池昌代
内容紹介・もくじなど
一処一情―好みの場所を見つけて眼を据え、迸る感情を凝集させる。生涯の師・山口誓子は愛弟子の句作りをそう評した。「いなびかり北よりすれば北を見る」「雪はげし抱かれて息のつまりしこと」女心と物語性に満ちた句で、戦後俳壇の女流スターと称された多佳子。その全句を眺めるとき、生をみつめる厳しい眼差しと天賦の感性に圧倒される。補遺、自句自解、索引、誓子による解説を付す貴重な全句集。
もくじ情報:海燕;信濃;紅絲;海彦;命終;補遺(句集未収録作品)
一処一情―好みの場所を見つけて眼を据え、迸る感情を凝集させる。生涯の師・山口誓子は愛弟子の句作りをそう評した。「いなびかり北よりすれば北を見る」「雪はげし抱かれて息のつまりしこと」女心と物語性に満ちた句で、戦後俳壇の女流スターと称された多佳子。その全句を眺めるとき、生をみつめる厳しい眼差しと天賦の感性に圧倒される。補遺、自句自解、索引、誓子による解説を付す貴重な全句集。
もくじ情報:海燕;信濃;紅絲;海彦;命終;補遺(句集未収録作品)
著者プロフィール
橋本 多佳子(ハシモト タカコ)
1899(明治32)年~1963(昭和38)年。東京市本郷生まれ。本名多満。18歳で建築家の橋本豊次郎と結婚し大阪へ転居。1920年、夫の赴任地である北九州小倉市中原の高台に櫓山荘を新築し移り住み、以後、同荘は小倉の文化サロン的存在となる。1922年、高浜虚子を迎えての句会を機に杉田久女から指導を受け、のち大阪転居の折に山口誓子と出会い、師事するようになる。夫の死後、櫓山荘を手放し、奈良市あやめ池へ疎開。1941年に第一句集『海燕』を刊行。1948年に誓子主宰「天狼」に参加し、同年榎本冬一郎と「七曜」を創刊。1951年に第三句集『紅絲』を刊行、代表作となる。西…(
続く
)
橋本 多佳子(ハシモト タカコ)
1899(明治32)年~1963(昭和38)年。東京市本郷生まれ。本名多満。18歳で建築家の橋本豊次郎と結婚し大阪へ転居。1920年、夫の赴任地である北九州小倉市中原の高台に櫓山荘を新築し移り住み、以後、同荘は小倉の文化サロン的存在となる。1922年、高浜虚子を迎えての句会を機に杉田久女から指導を受け、のち大阪転居の折に山口誓子と出会い、師事するようになる。夫の死後、櫓山荘を手放し、奈良市あやめ池へ疎開。1941年に第一句集『海燕』を刊行。1948年に誓子主宰「天狼」に参加し、同年榎本冬一郎と「七曜」を創刊。1951年に第三句集『紅絲』を刊行、代表作となる。西東三鬼や平畑静塔らと共に戦後の代表的俳人として活躍した。1963年5月、64歳で逝去。2年後に遺句集『命終』が刊行された(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
もくじ情報:海燕;信濃;紅絲;海彦;命終;補遺(句集未収録作品)
もくじ情報:海燕;信濃;紅絲;海彦;命終;補遺(句集未収録作品)
1899(明治32)年~1963(昭和38)年。東京市本郷生まれ。本名多満。18歳で建築家の橋本豊次郎と結婚し大阪へ転居。1920年、夫の赴任地である北九州小倉市中原の高台に櫓山荘を新築し移り住み、以後、同荘は小倉の文化サロン的存在となる。1922年、高浜虚子を迎えての句会を機に杉田久女から指導を受け、のち大阪転居の折に山口誓子と出会い、師事するようになる。夫の死後、櫓山荘を手放し、奈良市あやめ池へ疎開。1941年に第一句集『海燕』を刊行。1948年に誓子主宰「天狼」に参加し、同年榎本冬一郎と「七曜」を創刊。1951年に第三句集『紅絲』を刊行、代表作となる。西…(続く)
1899(明治32)年~1963(昭和38)年。東京市本郷生まれ。本名多満。18歳で建築家の橋本豊次郎と結婚し大阪へ転居。1920年、夫の赴任地である北九州小倉市中原の高台に櫓山荘を新築し移り住み、以後、同荘は小倉の文化サロン的存在となる。1922年、高浜虚子を迎えての句会を機に杉田久女から指導を受け、のち大阪転居の折に山口誓子と出会い、師事するようになる。夫の死後、櫓山荘を手放し、奈良市あやめ池へ疎開。1941年に第一句集『海燕』を刊行。1948年に誓子主宰「天狼」に参加し、同年榎本冬一郎と「七曜」を創刊。1951年に第三句集『紅絲』を刊行、代表作となる。西東三鬼や平畑静塔らと共に戦後の代表的俳人として活躍した。1963年5月、64歳で逝去。2年後に遺句集『命終』が刊行された(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)