ようこそ!
マイページ
ご利用ガイド
組合員情報の変更
メールアドレスの変更
ログイン
サイトトップ
e
フレンズトップ
すべて
本
雑誌
CD
DVD・Blu-ray
クリア
本 こだわり検索
書名
著者名
商品説明
出版社名
出版年月
―
2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
2011
2010
2009
2008
2007
2006
2005
2004
2003
2002
2001
2000
1999
1998
1997
1996
1995
1994
1993
1992
1991
1990
1989
1988
1987
1986
1985
1984
1983
1982
年
―
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
月
以前
のみ
以降
ジャンル
選択してください
文庫
新書・選書
文芸
教養
人文
教育
芸術
児童
趣味
生活
地図・ガイド
就職・資格
語学
小学学参
中学学参
高校学参
辞典
コミック
ゲーム攻略本
エンターテイメント
日記手帳
社会
法律
経済
経営
ビジネス
理学
工学
コンピュータ
医学
看護学
薬学
ISBNコード
予約商品を表示しない
検索
クリア
本 >
芸術
>
芸術・美術一般
>
芸術・美術評論
出版社名:展望社
出版年月:2019年4月
ISBN:978-4-88546-356-3
455,54P 21cm
歌麿の生涯 写楽を秘めて
新関公子/著
組合員価格 税込
2,673
円
(通常価格 税込 2,970円)
割引率 10%
お取り寄せ
お届け日未定
※ご注文が集中した場合、お届けが遅れる場合がございます。
内容紹介・もくじなど
歌麿が写楽だったとは!大首絵、雲英摺り、襦袢の脇から両腕を出す奇抜なポーズ、上品な色調、視線の落とし方、確かに同一の作風だ。ところが唯一の同時代文献「浮世絵類考」は、歌麿と写楽を別人と記載している。筆者はこれを歌麿擁護のための捏造記載とみなす。この文献を制作したのは歌麿の親友たちなのである。写楽の役者絵は、返討ちに遭う不運な侍、不義密通をした娘の命乞いに切腹する親、主君の息子と偽って我が子の首を差し出す無情の親、など武士道の弱点ばかり。ご法度の心中ものさえ描いた。かくて写楽は幕府のお尋ね者に。写楽は不人気で消えたのではない。歌麿という正体が露見しそうで、危なくて続けられなかったのだ。本書の白眉…(
続く
)
歌麿が写楽だったとは!大首絵、雲英摺り、襦袢の脇から両腕を出す奇抜なポーズ、上品な色調、視線の落とし方、確かに同一の作風だ。ところが唯一の同時代文献「浮世絵類考」は、歌麿と写楽を別人と記載している。筆者はこれを歌麿擁護のための捏造記載とみなす。この文献を制作したのは歌麿の親友たちなのである。写楽の役者絵は、返討ちに遭う不運な侍、不義密通をした娘の命乞いに切腹する親、主君の息子と偽って我が子の首を差し出す無情の親、など武士道の弱点ばかり。ご法度の心中ものさえ描いた。かくて写楽は幕府のお尋ね者に。写楽は不人気で消えたのではない。歌麿という正体が露見しそうで、危なくて続けられなかったのだ。本書の白眉は学者たちが金科玉条に信じている「浮世絵類考」のからくりを明かすところにある。
もくじ情報:写楽出現の歴史的背景;完成した巨大肉筆画三幅対から推論する歌麿の生涯;歌麿の絵師修行のはじまり;歌麿が北川豊章と名乗った時代(推定一八~二五歳頃);歌麿と名乗り始めた頃―遠近法や光と影の表現への熱中;美人大首絵の開始;写楽 第一期 寛政六年(一七九四)五月の作品;写楽 第二期 寛政六年(一七九四)七、八月の作品;写楽 第三期 寛政六年(一七九四)一一月、閏一一月の作品;写楽 第四期 寛政七年(一七九五)の作品;写楽の幕を引く;「浮世絵類考」執筆の経緯と写楽隠蔽の歴史的展開;写楽の仮面をぬいでからその死までの歌麿;南畝没後の「浮世絵類考」変遷の問題点と新たな歌麿像の提唱
著者プロフィール
新関 公子(ニイゼキ キミコ)
旧姓・杉本。1940年、新潟県長岡市生れ。新潟県立柏崎高校卒。1959年東京芸術大学美術学部芸術学科入学、西洋美術史を専攻、1966年、同科大学院修士課程修了。1966年より東京芸術大学付属芸術資料館(大学美術館前身)勤務。1974年退職。1年間ドイツ遊学の後、都留文科大学、トキワ松学園女子短期大学(現横浜美術大学)で非常勤講師、横浜美術館開設準備室学芸員などをしながら研究著述活動。2002年、東京芸術大学大学美術館教授に就任。2008年退職して名誉教授となる。著書:『ゴッホ 契約の兄弟―フィンセントとテオ・ファン・ゴッホ』(2012年ブリュッケ 吉田秀和賞受賞…(
続く
)
新関 公子(ニイゼキ キミコ)
旧姓・杉本。1940年、新潟県長岡市生れ。新潟県立柏崎高校卒。1959年東京芸術大学美術学部芸術学科入学、西洋美術史を専攻、1966年、同科大学院修士課程修了。1966年より東京芸術大学付属芸術資料館(大学美術館前身)勤務。1974年退職。1年間ドイツ遊学の後、都留文科大学、トキワ松学園女子短期大学(現横浜美術大学)で非常勤講師、横浜美術館開設準備室学芸員などをしながら研究著述活動。2002年、東京芸術大学大学美術館教授に就任。2008年退職して名誉教授となる。著書:『ゴッホ 契約の兄弟―フィンセントとテオ・ファン・ゴッホ』(2012年ブリュッケ 吉田秀和賞受賞)など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
同じ著者名で検索した本
東京美術学校物語 国粋と国際のはざまに揺れて/岩波新書 新赤版 2058
新関公子/著
根源芸術家良寛
新関公子/著
エルンスト 新装版/アート・ライブラリー
イアン・ターピン/著 新関公子/訳
森鴎外と原田直次郎 ミュンヘンに芽生えた友情の行方
新関公子/著
シュルレアリスムの絵画/アート・ライブラリー
サイモン・ウィルソン/著 新関公子/訳
もくじ情報:写楽出現の歴史的背景;完成した巨大肉筆画三幅対から推論する歌麿の生涯;歌麿の絵師修行のはじまり;歌麿が北川豊章と名乗った時代(推定一八~二五歳頃);歌麿と名乗り始めた頃―遠近法や光と影の表現への熱中;美人大首絵の開始;写楽 第一期 寛政六年(一七九四)五月の作品;写楽 第二期 寛政六年(一七九四)七、八月の作品;写楽 第三期 寛政六年(一七九四)一一月、閏一一月の作品;写楽 第四期 寛政七年(一七九五)の作品;写楽の幕を引く;「浮世絵類考」執筆の経緯と写楽隠蔽の歴史的展開;写楽の仮面をぬいでからその死までの歌麿;南畝没後の「浮世絵類考」変遷の問題点と新たな歌麿像の提唱