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岩波新書
出版社名:岩波書店
出版年月:2022年2月
ISBN:978-4-00-431913-9
256P 18cm
政治責任 民主主義とのつき合い方/岩波新書 新赤版 1913
鵜飼健史/著
組合員価格 税込
891
円
(通常価格 税込 990円)
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内容紹介・もくじなど
内容紹介:政治責任を問うことも、それを看過することも日常になってしまったいま、私たちは「政治に無責任はつきものなのだ」という諦念を追認するしかないのか。自己責任論と政治不信の渦中で政治責任を取らせることは可能なのか。H・アーレントや丸山眞男などを参照しつつ、政治責任をめぐるもどかしさの根源を理論的に究明する。
政治責任を問うことも、それを看過することも日常になってしまったいま、私たちは「政治に無責任はつきものなのだ」という諦念を追認するしかないのか。自己責任論と政治不信の渦中で政治責任を取らせることは可能なのか。H.アーレントや丸山眞男などを参照しつつ、政治責任をめぐるもどかしさの根源を理論的…(
続く
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内容紹介:政治責任を問うことも、それを看過することも日常になってしまったいま、私たちは「政治に無責任はつきものなのだ」という諦念を追認するしかないのか。自己責任論と政治不信の渦中で政治責任を取らせることは可能なのか。H・アーレントや丸山眞男などを参照しつつ、政治責任をめぐるもどかしさの根源を理論的に究明する。
政治責任を問うことも、それを看過することも日常になってしまったいま、私たちは「政治に無責任はつきものなのだ」という諦念を追認するしかないのか。自己責任論と政治不信の渦中で政治責任を取らせることは可能なのか。H.アーレントや丸山眞男などを参照しつつ、政治責任をめぐるもどかしさの根源を理論的に究明する。
もくじ情報:第1章 無責任な政治のなかの責任(現代政治の責任;責任と日本戦後政治史 ほか);第2章 責任がある(政治責任の形態論;権力と責任 ほか);第3章 責任を取る(政治責任は結果責任?;アカウンタビリティと政治責任 ほか);第4章 無責任から責任へ(政治問題としての無責任;無責任な政治 ほか);第5章 政治責任の未来(責任の自覚;あらためて自己責任を考える ほか)
著者プロフィール
鵜飼 健史(ウカイ タケフミ)
1979年愛知県生まれ。2009年一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程単位取得退学。2010年同博士号取得。日本学術振興会特別研究員、早稲田大学社会科学総合学術院助教等を経て、西南学院大学法学部教授。専攻は政治理論(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
鵜飼 健史(ウカイ タケフミ)
1979年愛知県生まれ。2009年一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程単位取得退学。2010年同博士号取得。日本学術振興会特別研究員、早稲田大学社会科学総合学術院助教等を経て、西南学院大学法学部教授。専攻は政治理論(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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政治責任を問うことも、それを看過することも日常になってしまったいま、私たちは「政治に無責任はつきものなのだ」という諦念を追認するしかないのか。自己責任論と政治不信の渦中で政治責任を取らせることは可能なのか。H.アーレントや丸山眞男などを参照しつつ、政治責任をめぐるもどかしさの根源を理論的…(続く)
政治責任を問うことも、それを看過することも日常になってしまったいま、私たちは「政治に無責任はつきものなのだ」という諦念を追認するしかないのか。自己責任論と政治不信の渦中で政治責任を取らせることは可能なのか。H.アーレントや丸山眞男などを参照しつつ、政治責任をめぐるもどかしさの根源を理論的に究明する。
もくじ情報:第1章 無責任な政治のなかの責任(現代政治の責任;責任と日本戦後政治史 ほか);第2章 責任がある(政治責任の形態論;権力と責任 ほか);第3章 責任を取る(政治責任は結果責任?;アカウンタビリティと政治責任 ほか);第4章 無責任から責任へ(政治問題としての無責任;無責任な政治 ほか);第5章 政治責任の未来(責任の自覚;あらためて自己責任を考える ほか)