ようこそ!
マイページ
ご利用ガイド
組合員情報の変更
メールアドレスの変更
ログイン
サイトトップ
e
フレンズトップ
すべて
本
雑誌
CD
DVD・Blu-ray
クリア
本 こだわり検索
書名
著者名
商品説明
出版社名
出版年月
―
2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
2011
2010
2009
2008
2007
2006
2005
2004
2003
2002
2001
2000
1999
1998
1997
1996
1995
1994
1993
1992
1991
1990
1989
1988
1987
1986
1985
1984
1983
1982
年
―
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
月
以前
のみ
以降
ジャンル
選択してください
文庫
新書・選書
文芸
教養
人文
教育
芸術
児童
趣味
生活
地図・ガイド
就職・資格
語学
小学学参
中学学参
高校学参
辞典
コミック
ゲーム攻略本
エンターテイメント
日記手帳
社会
法律
経済
経営
ビジネス
理学
工学
コンピュータ
医学
看護学
薬学
ISBNコード
予約商品を表示しない
検索
クリア
本 >
人文
>
哲学・思想
>
日本の哲学・思想(近代)
出版社名:新泉社
出版年月:2023年2月
ISBN:978-4-7877-2209-6
359P 19cm
実在とは何か 西田幾多郎『善の研究』講義
大熊玄/著
組合員価格 税込
2,673
円
(通常価格 税込 2,970円)
割引率 10%
在庫あり
生協宅配にてお届け
※ご注文が集中した場合、お届けが遅れる場合がございます。
内容紹介・もくじなど
内容紹介:西田幾多郎が、自らの「哲学的思想を述べたもの」、『善の研究』の「骨子というべきもの」と語る、同書第二編「実在」の徹底的解説書。「実在とは如何なる者であるか。主客の対立なく、知情意の分離なく、単に独立自全の純活動あるのみである。」
西田幾多郎が、自らの「哲学的思想を述べたもの」、『善の研究』の「骨子というべきもの」と語る、同書第二編「実在」の徹底的解説書。
もくじ情報:第1章 ひたすら考え究めていく、その始まりの基点(ゼロ・ポイント)―考究の出立点;第2章 意識の立ち現われ(現象)こそが唯一の実在である―意識現象が唯一の実在である;第3章 実在の真の姿は、知ではなく情意によって明らかと…(
続く
)
内容紹介:西田幾多郎が、自らの「哲学的思想を述べたもの」、『善の研究』の「骨子というべきもの」と語る、同書第二編「実在」の徹底的解説書。「実在とは如何なる者であるか。主客の対立なく、知情意の分離なく、単に独立自全の純活動あるのみである。」
西田幾多郎が、自らの「哲学的思想を述べたもの」、『善の研究』の「骨子というべきもの」と語る、同書第二編「実在」の徹底的解説書。
もくじ情報:第1章 ひたすら考え究めていく、その始まりの基点(ゼロ・ポイント)―考究の出立点;第2章 意識の立ち現われ(現象)こそが唯一の実在である―意識現象が唯一の実在である;第3章 実在の真の姿は、知ではなく情意によって明らかとなる―実在の真景;第4章 真の実在(意識現象)にはいつも同一の形式がある―真実在は常に同一の形式を有っている;第5章 真の実在は「一即多、多即一」という根本的なあり方をしている―真実在の根本的方式;第6章 実在はただ一つだけ―唯一実在;第7章 実在は、「二」に分化し、「多」へと発展する―実在の分化発展;第8章 「自然」にも、実在としての自己がある―自然;第9章 「精神」とは、実在から抽出された統一作用のこと―精神;第10章 「神」とは、究極の実在のこと―実在としての神
著者プロフィール
大熊 玄(オオクマ ゲン)
1972年、千葉生まれ、新潟育ち。立命館大学史学科(東洋史学専攻)卒業、金沢大学大学院文学研究科修士課程(比較思想研究室・インド哲学)修了、同大学院社会環境科学研究科(博士後期)満期退学。専門は東洋思想・日本哲学(西田幾多郎、鈴木大拙)。1999年から約一年半のインド・プネー大学への留学より帰国後、石川県西田幾多郎記念哲学館の開館準備に携わる。金沢大学非常勤講師、石川県西田幾多郎記念哲学館専門員・学芸課長を経て、現在、同館副館長、立教大学文学部・大学院21世紀社会デザイン研究科教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
大熊 玄(オオクマ ゲン)
1972年、千葉生まれ、新潟育ち。立命館大学史学科(東洋史学専攻)卒業、金沢大学大学院文学研究科修士課程(比較思想研究室・インド哲学)修了、同大学院社会環境科学研究科(博士後期)満期退学。専門は東洋思想・日本哲学(西田幾多郎、鈴木大拙)。1999年から約一年半のインド・プネー大学への留学より帰国後、石川県西田幾多郎記念哲学館の開館準備に携わる。金沢大学非常勤講師、石川県西田幾多郎記念哲学館専門員・学芸課長を経て、現在、同館副館長、立教大学文学部・大学院21世紀社会デザイン研究科教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
同じ著者名で検索した本
善とは何か 西田幾多郎『善の研究』講義
大熊玄/著
西田幾多郎が、自らの「哲学的思想を述べたもの」、『善の研究』の「骨子というべきもの」と語る、同書第二編「実在」の徹底的解説書。
もくじ情報:第1章 ひたすら考え究めていく、その始まりの基点(ゼロ・ポイント)―考究の出立点;第2章 意識の立ち現われ(現象)こそが唯一の実在である―意識現象が唯一の実在である;第3章 実在の真の姿は、知ではなく情意によって明らかと…(続く)
西田幾多郎が、自らの「哲学的思想を述べたもの」、『善の研究』の「骨子というべきもの」と語る、同書第二編「実在」の徹底的解説書。
もくじ情報:第1章 ひたすら考え究めていく、その始まりの基点(ゼロ・ポイント)―考究の出立点;第2章 意識の立ち現われ(現象)こそが唯一の実在である―意識現象が唯一の実在である;第3章 実在の真の姿は、知ではなく情意によって明らかとなる―実在の真景;第4章 真の実在(意識現象)にはいつも同一の形式がある―真実在は常に同一の形式を有っている;第5章 真の実在は「一即多、多即一」という根本的なあり方をしている―真実在の根本的方式;第6章 実在はただ一つだけ―唯一実在;第7章 実在は、「二」に分化し、「多」へと発展する―実在の分化発展;第8章 「自然」にも、実在としての自己がある―自然;第9章 「精神」とは、実在から抽出された統一作用のこと―精神;第10章 「神」とは、究極の実在のこと―実在としての神