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出版社名:講談社エディトリアル
出版年月:2024年1月
ISBN:978-4-86677-128-1
382P 22cm
宮城道雄著作全集 第5巻/著作世界
宮城道雄/著 宮城道雄記念館/編集 千葉優子/責任編集
組合員価格 税込
9,504
円
(通常価格 税込 10,560円)
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内容紹介・もくじなど
もくじ情報:著作補遺(「鯨の寝ざめ」座談会;外国人と箏;御挨拶に代えて ほか);点字原稿(点字原稿の墨訳と校訂について;秋の思い出;秋の感触 ほか);宮城道雄の著作(特徴と問題点;執筆方法;随筆と音楽的著作 ほか)
もくじ情報:著作補遺(「鯨の寝ざめ」座談会;外国人と箏;御挨拶に代えて ほか);点字原稿(点字原稿の墨訳と校訂について;秋の思い出;秋の感触 ほか);宮城道雄の著作(特徴と問題点;執筆方法;随筆と音楽的著作 ほか)
著者プロフィール
宮城 道雄(ミヤギ ミチオ)
1894‐1956。名曲“春の海”の作曲者として知られる宮城道雄は、明治27年(1894)4月7日、神戸三宮居留地内で生まれた。8歳で失明の宣告を受けて以後、自らの道を箏曲地歌に定め、やがて西洋音楽の要素を邦楽に導入することによって、新しい音楽世界を開拓。自己の音楽理念に関する叙述も数多く著した。また、親友の随筆家、内田百〓のすすめで、昭和10年(1935)に最初の随筆集『雨の念仏』を出版して以来、生前に7タイトルの随筆集を出版。音楽家の単なる手すさびの域を越え、文学として一つの世界を確立し、川端康成ら各界から高い評価を得た。演奏家としても一世を風靡したが、昭和3…(
続く
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宮城 道雄(ミヤギ ミチオ)
1894‐1956。名曲“春の海”の作曲者として知られる宮城道雄は、明治27年(1894)4月7日、神戸三宮居留地内で生まれた。8歳で失明の宣告を受けて以後、自らの道を箏曲地歌に定め、やがて西洋音楽の要素を邦楽に導入することによって、新しい音楽世界を開拓。自己の音楽理念に関する叙述も数多く著した。また、親友の随筆家、内田百〓のすすめで、昭和10年(1935)に最初の随筆集『雨の念仏』を出版して以来、生前に7タイトルの随筆集を出版。音楽家の単なる手すさびの域を越え、文学として一つの世界を確立し、川端康成ら各界から高い評価を得た。演奏家としても一世を風靡したが、昭和31年6月25日“越天楽変奏曲”を関西交響楽団(現・大阪フィルハーモニー交響楽団)と共演するため大阪へ向かう途次、刈谷駅付近で寝台急行「銀河」より転落、62歳で死去
1894‐1956。名曲“春の海”の作曲者として知られる宮城道雄は、明治27年(1894)4月7日、神戸三宮居留地内で生まれた。8歳で失明の宣告を受けて以後、自らの道を箏曲地歌に定め、やがて西洋音楽の要素を邦楽に導入することによって、新しい音楽世界を開拓。自己の音楽理念に関する叙述も数多く著した。また、親友の随筆家、内田百〓のすすめで、昭和10年(1935)に最初の随筆集『雨の念仏』を出版して以来、生前に7タイトルの随筆集を出版。音楽家の単なる手すさびの域を越え、文学として一つの世界を確立し、川端康成ら各界から高い評価を得た。演奏家としても一世を風靡したが、昭和3…(続く)
1894‐1956。名曲“春の海”の作曲者として知られる宮城道雄は、明治27年(1894)4月7日、神戸三宮居留地内で生まれた。8歳で失明の宣告を受けて以後、自らの道を箏曲地歌に定め、やがて西洋音楽の要素を邦楽に導入することによって、新しい音楽世界を開拓。自己の音楽理念に関する叙述も数多く著した。また、親友の随筆家、内田百〓のすすめで、昭和10年(1935)に最初の随筆集『雨の念仏』を出版して以来、生前に7タイトルの随筆集を出版。音楽家の単なる手すさびの域を越え、文学として一つの世界を確立し、川端康成ら各界から高い評価を得た。演奏家としても一世を風靡したが、昭和31年6月25日“越天楽変奏曲”を関西交響楽団(現・大阪フィルハーモニー交響楽団)と共演するため大阪へ向かう途次、刈谷駅付近で寝台急行「銀河」より転落、62歳で死去