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出版社名:潮書房光人新社
出版年月:2024年4月
ISBN:978-4-7698-3355-0
271P 16cm
日本海軍魚雷艇全史 列強に挑んだ高速艇の技術と戦歴/光人社NF文庫 い1355
今村好信/著
組合員価格 税込 1,026
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内容紹介・もくじなど
四〇ノットの高速で敵艦艇を襲う魚雷艇。戦艦など大型艦艇の建造・運用では世界一流を自負していたはずの日本海軍が、なぜ排水量わずか二〇トン程度の木造艇を、戦場において活躍させられなかったのか―米国のPTボートや直接手本とした伊のMAS艇、独のSボートなどと比較、日本魚雷艇の歴史と問題点を探る。
もくじ情報:第1部 日本海軍魚雷艇建造史(魚雷艇開発の契機;魚雷艇建造の歴史;国産艇の開発と建造 ほか);第2部 日本海軍魚雷艇隊戦闘記録(第二五、第一二魚雷艇隊比島戦記;日本防衛部隊の戦記);第3部 アメリカ海軍の魚雷艇(マッカーサーと魚雷艇;米国魚雷艇の開発と建造;兵装とエンジン ほか)
四〇ノットの高速で敵艦艇を襲う魚雷艇。戦艦など大型艦艇の建造・運用では世界一流を自負していたはずの日本海軍が、なぜ排水量わずか二〇トン程度の木造艇を、戦場において活躍させられなかったのか―米国のPTボートや直接手本とした伊のMAS艇、独のSボートなどと比較、日本魚雷艇の歴史と問題点を探る。
もくじ情報:第1部 日本海軍魚雷艇建造史(魚雷艇開発の契機;魚雷艇建造の歴史;国産艇の開発と建造 ほか);第2部 日本海軍魚雷艇隊戦闘記録(第二五、第一二魚雷艇隊比島戦記;日本防衛部隊の戦記);第3部 アメリカ海軍の魚雷艇(マッカーサーと魚雷艇;米国魚雷艇の開発と建造;兵装とエンジン ほか)
著者プロフィール
今村 好信(イマムラ ヨシノブ)
大正8年12月3日、愛媛県上分町(現・川之江市上分町)に生まれる。県立三島中学校、松山高等学校理科乙類を経て、昭和17年9月、東京帝国大学工学部機械工学科を卒業後、株式会社日立製作所に入社。同10月、海軍短期現役技術科士官を志願、見習尉官を経て造機技術大尉として服務、呉海軍工廠造機部機械工場、艦政本部5部、海軍軍需局を経て、昭和20年9月、敗戦により予備役編入。同年11月、日立製作所茂原工場(電子管)に復職。昭和39年9月、茂原工場長、以後、青梅工場長(照明管球)、電子管事業部長、半導体事業部長、取締役電子事業本部長を経て、昭和52年6月、日立機電工業株式会社…(続く
今村 好信(イマムラ ヨシノブ)
大正8年12月3日、愛媛県上分町(現・川之江市上分町)に生まれる。県立三島中学校、松山高等学校理科乙類を経て、昭和17年9月、東京帝国大学工学部機械工学科を卒業後、株式会社日立製作所に入社。同10月、海軍短期現役技術科士官を志願、見習尉官を経て造機技術大尉として服務、呉海軍工廠造機部機械工場、艦政本部5部、海軍軍需局を経て、昭和20年9月、敗戦により予備役編入。同年11月、日立製作所茂原工場(電子管)に復職。昭和39年9月、茂原工場長、以後、青梅工場長(照明管球)、電子管事業部長、半導体事業部長、取締役電子事業本部長を経て、昭和52年6月、日立機電工業株式会社専務取締役として転出、昭和54年6月、取締役社長、以後、相談役、名誉相談役。平成24年2月、歿(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)