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人物評伝
出版社名:講談社エディトリアル
出版年月:2021年7月
ISBN:978-4-86677-088-8
364P 19cm
わがいのち果てる日に 巣鴨プリズン・BC級戦犯者の記録
田嶋隆純/編著
組合員価格 税込
1,777
円
(通常価格 税込 1,870円)
割引率 5%
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内容紹介・もくじなど
もくじ情報:巣鴨の教誨師となるまで;「死の喜び」よりも「生の喜び」を;処刑の立ち会い;刑場への道;拘引記―二十八時間の記録;罪業感と戦争観;最後の晩餐;死刑囚の面会;死刑囚と仏教;遺書集;追補
もくじ情報:巣鴨の教誨師となるまで;「死の喜び」よりも「生の喜び」を;処刑の立ち会い;刑場への道;拘引記―二十八時間の記録;罪業感と戦争観;最後の晩餐;死刑囚の面会;死刑囚と仏教;遺書集;追補
著者プロフィール
田嶋 隆純(タジマ リュウジュン)
1892(明治25)年1月9日、栃木県に生まれる。13歳で仏門(栃木市・満福寺)に入り、豊山大学(現・大正大学)で河口慧海に師事してチベット語とチベット仏教を学ぶ。1931(昭和6)年、フランスのソルボンヌ大学(パリ大学)に留学。’35年、フランス語で執筆した論文『大日経の研究』でパリ大学から文学博士号を授与される(翌年、パリで出版)。その後、栃木県の太山寺、高平寺、東京・小岩の正真寺の住職を務め、真言宗豊山派大僧正。また大正大学教授、同大学文学部長、図書館長、仏教学部長、真言学研究室主任、大学院研究室主任を歴任する。1941(昭和16)年夏、仏教界を代表し…(
続く
)
田嶋 隆純(タジマ リュウジュン)
1892(明治25)年1月9日、栃木県に生まれる。13歳で仏門(栃木市・満福寺)に入り、豊山大学(現・大正大学)で河口慧海に師事してチベット語とチベット仏教を学ぶ。1931(昭和6)年、フランスのソルボンヌ大学(パリ大学)に留学。’35年、フランス語で執筆した論文『大日経の研究』でパリ大学から文学博士号を授与される(翌年、パリで出版)。その後、栃木県の太山寺、高平寺、東京・小岩の正真寺の住職を務め、真言宗豊山派大僧正。また大正大学教授、同大学文学部長、図書館長、仏教学部長、真言学研究室主任、大学院研究室主任を歴任する。1941(昭和16)年夏、仏教界を代表して渡米し、各地で日米両国間の平和維持を懇請。戦後の’49年6月、米軍管轄下の巣鴨プリズンで2代目教誨師となり、戦犯死刑囚の助命嘆願運動に尽力。収容者から「巣鴨の父」と慕われる。’54年巣鴨の教誨師としての功績により法務大臣より表彰。’57年7月24日没(享年65)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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巣鴨プリズンBC級戦犯者の記録 わがいのち果てる日に/講談社学術文庫 2874
田嶋隆純/編著
1892(明治25)年1月9日、栃木県に生まれる。13歳で仏門(栃木市・満福寺)に入り、豊山大学(現・大正大学)で河口慧海に師事してチベット語とチベット仏教を学ぶ。1931(昭和6)年、フランスのソルボンヌ大学(パリ大学)に留学。’35年、フランス語で執筆した論文『大日経の研究』でパリ大学から文学博士号を授与される(翌年、パリで出版)。その後、栃木県の太山寺、高平寺、東京・小岩の正真寺の住職を務め、真言宗豊山派大僧正。また大正大学教授、同大学文学部長、図書館長、仏教学部長、真言学研究室主任、大学院研究室主任を歴任する。1941(昭和16)年夏、仏教界を代表し…(続く)
1892(明治25)年1月9日、栃木県に生まれる。13歳で仏門(栃木市・満福寺)に入り、豊山大学(現・大正大学)で河口慧海に師事してチベット語とチベット仏教を学ぶ。1931(昭和6)年、フランスのソルボンヌ大学(パリ大学)に留学。’35年、フランス語で執筆した論文『大日経の研究』でパリ大学から文学博士号を授与される(翌年、パリで出版)。その後、栃木県の太山寺、高平寺、東京・小岩の正真寺の住職を務め、真言宗豊山派大僧正。また大正大学教授、同大学文学部長、図書館長、仏教学部長、真言学研究室主任、大学院研究室主任を歴任する。1941(昭和16)年夏、仏教界を代表して渡米し、各地で日米両国間の平和維持を懇請。戦後の’49年6月、米軍管轄下の巣鴨プリズンで2代目教誨師となり、戦犯死刑囚の助命嘆願運動に尽力。収容者から「巣鴨の父」と慕われる。’54年巣鴨の教誨師としての功績により法務大臣より表彰。’57年7月24日没(享年65)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)