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内容紹介・もくじなど
著者プロフィール
新関 公子(ニイゼキ キミコ)
旧姓・杉本。1940年、新潟県長岡市生れ。新潟県立柏崎高校卒。1959年東京芸術大学美術学部芸術学科入学、西洋美術史を専攻、1966年、同科大学院修士課程修了。1966年より東京芸術大学付属芸術資料館(大学美術館前身)勤務。1974年退職。1年間ドイツ遊学の後、都留文科大学、トキワ松学園女子短期大学(現横浜美術大学)で非常勤講師、横浜美術館開設準備室学芸員などをしながら研究著述活動。2002年、東京芸術大学大学美術館教授に就任。2008年退職して名誉教授となる。著書:『ゴッホ 契約の兄弟―フィンセントとテオ・ファン・ゴッホ』(2012年ブリュッケ 吉田秀和賞受賞…( ) 新関 公子(ニイゼキ キミコ)
旧姓・杉本。1940年、新潟県長岡市生れ。新潟県立柏崎高校卒。1959年東京芸術大学美術学部芸術学科入学、西洋美術史を専攻、1966年、同科大学院修士課程修了。1966年より東京芸術大学付属芸術資料館(大学美術館前身)勤務。1974年退職。1年間ドイツ遊学の後、都留文科大学、トキワ松学園女子短期大学(現横浜美術大学)で非常勤講師、横浜美術館開設準備室学芸員などをしながら研究著述活動。2002年、東京芸術大学大学美術館教授に就任。2008年退職して名誉教授となる。著書:『ゴッホ 契約の兄弟―フィンセントとテオ・ファン・ゴッホ』(2012年ブリュッケ 吉田秀和賞受賞)など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
もくじ情報:写楽出現の歴史的背景;完成した巨大肉筆画三幅対から推論する歌麿の生涯;歌麿の絵師修行のはじまり;歌麿が北川豊章と名乗った時代(推定一八~二五歳頃);歌麿と名乗り始めた頃―遠近法や光と影の表現への熱中;美人大首絵の開始;写楽 第一期 寛政六年(一七九四)五月の作品;写楽 第二期 寛政六年(一七九四)七、八月の作品;写楽 第三期 寛政六年(一七九四)一一月、閏一一月の作品;写楽 第四期 寛政七年(一七九五)の作品;写楽の幕を引く;「浮世絵類考」執筆の経緯と写楽隠蔽の歴史的展開;写楽の仮面をぬいでからその死までの歌麿;南畝没後の「浮世絵類考」変遷の問題点と新たな歌麿像の提唱