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内容紹介・もくじなど
著者プロフィール
河治 和香(カワジ ワカ)
東京都葛飾区柴又生まれ。日本大学芸術学部卒。CBSソニーを経て、日本映画監督協会に勤務。2003年、『秋の金魚』で小学館文庫小説賞を受賞してデビュー。本書が、北海道ゆかりの本大賞及び、中山義秀文学賞と舟橋聖一文学賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 河治 和香(カワジ ワカ)
東京都葛飾区柴又生まれ。日本大学芸術学部卒。CBSソニーを経て、日本映画監督協会に勤務。2003年、『秋の金魚』で小学館文庫小説賞を受賞してデビュー。本書が、北海道ゆかりの本大賞及び、中山義秀文学賞と舟橋聖一文学賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
明治十六年。齢六十を過ぎて矍鑠としながらも終活に邁進中の松浦武四郎先生は、絵師河鍋暁斎宅に絵の催促にやって来ては、いつもイヤミを連発しながら曉斎の娘の豊に昔語りを始めるのだった。いわく…旅の始まりは十六歳の時の家出で書き置きは『唐天竺に行くかも』(呵々)。わしは神足歩行術で一日二十里は軽く歩ける。蝦夷地を六回も踏破し九八〇〇ものアイヌ語の地名を記録したぞ(鼻息)。しかし、明治になって松浦先生の名…(続く)
明治十六年。齢六十を過ぎて矍鑠としながらも終活に邁進中の松浦武四郎先生は、絵師河鍋暁斎宅に絵の催促にやって来ては、いつもイヤミを連発しながら曉斎の娘の豊に昔語りを始めるのだった。いわく…旅の始まりは十六歳の時の家出で書き置きは『唐天竺に行くかも』(呵々)。わしは神足歩行術で一日二十里は軽く歩ける。蝦夷地を六回も踏破し九八〇〇ものアイヌ語の地名を記録したぞ(鼻息)。しかし、明治になって松浦先生の名付けた蝦夷地の名は、もともとは“北加伊道”だった。“加伊”とは何なのか…そこにはアイヌの人々への思いが込められていたのだが。