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内容紹介・もくじなど
著者プロフィール
メリニチェンコ,ウラジーミル・エフィーモヴィッチ(メリニチェンコ,ウラジーミルエフィーモヴィッチ)
1946年生まれ。1968年キエフ大学卒、1971年大学院へ。歴史学博士。1976~1987年ウクライナ共産党中央委員会の社会学部々長。その後党文献保管所々長。1989年ソ連邦共産党中央委員会歴史学部々長。1991年レーニン中央博物館々長。同年ベトナムのハノイのホーチミン博物館に出張。エリツィンにより閉鎖された、レーニン博物館の最後の館長。’2000年の日本の東京で行われたレーニン生誕130周年記念シンポジウムの講演のため来日した メリニチェンコ,ウラジーミル・エフィーモヴィッチ(メリニチェンコ,ウラジーミルエフィーモヴィッチ)
1946年生まれ。1968年キエフ大学卒、1971年大学院へ。歴史学博士。1976~1987年ウクライナ共産党中央委員会の社会学部々長。その後党文献保管所々長。1989年ソ連邦共産党中央委員会歴史学部々長。1991年レーニン中央博物館々長。同年ベトナムのハノイのホーチミン博物館に出張。エリツィンにより閉鎖された、レーニン博物館の最後の館長。’2000年の日本の東京で行われたレーニン生誕130周年記念シンポジウムの講演のため来日した |
もくじ情報:第1章 日露戦争から十月革命まで(「文化的で自由な国日本との困難な戦争―」;日本帝国主義についてのレーニン);第2章 世界を震撼させた革命―十月革命に関するロシア人たち、及び若…(続く)
もくじ情報:第1章 日露戦争から十月革命まで(「文化的で自由な国日本との困難な戦争―」;日本帝国主義についてのレーニン);第2章 世界を震撼させた革命―十月革命に関するロシア人たち、及び若干の外国人たちの見解(ヴォロブーエフの考察より;十月革命と日本;革命と暴力―レーニンとテロ);第3章 日本人とレーニンの会談(レーニンの日本に対する関心;日露間の「緩衡国家」・シベリア出兵;ロシアにおける社会主義の建設について;世界社会主義革命について);第4章 解説に代えて―レーニンは生きている(レーニン没後と日本;第二次世界大戦の終了と日本;レーニン夫人グループスカヤの教育界への影響;戦後の日本の国家権力の規定に関する論争とレーニン;不破氏によるレーニン『国家と革命』の歪曲)