|
内容紹介・もくじなど
著者プロフィール
斎藤 喜博(サイトウ キハク)
1911年3月20日群馬県佐波郡芝根村川井に生まれる。1923年3月芝根尋常高等小学校尋常科を卒業。4月高等科に入学。1930年3月群馬師範学校を卒業。4月佐波郡玉村尋常高等小学校(宮川静一郎校長)へ赴任。1932年6月アララギに入会し、「アララギ」に短歌を発表。1943年3月芝根村国民学校へ転任。1946年6月歌誌「ケノクニ」を創刊。1947年4月玉村中学校へ転任。1949年12月群馬県教職員組合常任執行委員(文化部長)となる。1952年3月教育科学研究会の結成に参加。県教組文化部長任期満了。4月佐波郡島村小学校校長に就任。1963年4月前任校長の急死により急…( ) 斎藤 喜博(サイトウ キハク)
1911年3月20日群馬県佐波郡芝根村川井に生まれる。1923年3月芝根尋常高等小学校尋常科を卒業。4月高等科に入学。1930年3月群馬師範学校を卒業。4月佐波郡玉村尋常高等小学校(宮川静一郎校長)へ赴任。1932年6月アララギに入会し、「アララギ」に短歌を発表。1943年3月芝根村国民学校へ転任。1946年6月歌誌「ケノクニ」を創刊。1947年4月玉村中学校へ転任。1949年12月群馬県教職員組合常任執行委員(文化部長)となる。1952年3月教育科学研究会の結成に参加。県教組文化部長任期満了。4月佐波郡島村小学校校長に就任。1963年4月前任校長の急死により急遽境町東小学校に転任。1964年4月境小学校校長に転任。10月教育科学研究会に教授学部会を創設。1965年8月教育科学研究会全国集会に教授学分科会を開設。1969年3月境小学校校長を退職。1973年11月教育科学研究会をはなれて、教授学研究の会を結成。1974年8月宮城教育大学授業分析センター専任教授に就任。1975年3月宮城教育大学を退任(以後1978年3月まで学生、現職教師の指導を続ける)。1981年6月教授学研究の会会誌『事実と創造』を創刊。7月24日没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
もくじ情報:授業展開の科学生と人間性(人間が授業展開の主体だ;教育科学と人間の問題 ほか);展開を保障する条件(授業展開の意味するもの;単純化と方向性 ほか);展開の技術(発問・問い返し・説明;授業の振幅を大きくする方法 ほか);展開の組織(授業案のたて方;授業の形態 ほか)
もくじ情報:授業展開の科学生と人間性(人間が授業展開の主体だ;教育科学と人間の問題 ほか);展開を保障する条件(授業展開の意味するもの;単純化と方向性 ほか);展開の技術(発問・問い返し・説明;授業の振幅を大きくする方法 ほか);展開の組織(授業案のたて方;授業の形態 ほか)