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内容紹介・もくじなど
著者プロフィール
中村 桂子(ナカムラ ケイコ)
1936年東京生まれ。JT生命誌研究館名誉館長。理学博士。東京大学大学院生物化学科修了、江上不二夫(生化学)、渡辺格(分子生物学)らに学ぶ。国立予防衛生研究所をへて、1971年三菱化成生命科学研究所に入り(のち人間・自然研究部長)、日本における「生命科学」創出に関わる。しだいに、生物を分子の機械ととらえ、その構造と機能の解明に終始することになった生命科学に疑問をもち、ゲノムを基本に生きものの歴史と関係を読み解く新しい知「生命誌」を創出。その構想を1993年、「JT生命誌研究館」として実現、副館長(~2002年3月)、館長(~2020年3月)を務める。その間、早稲…( ) 中村 桂子(ナカムラ ケイコ)
1936年東京生まれ。JT生命誌研究館名誉館長。理学博士。東京大学大学院生物化学科修了、江上不二夫(生化学)、渡辺格(分子生物学)らに学ぶ。国立予防衛生研究所をへて、1971年三菱化成生命科学研究所に入り(のち人間・自然研究部長)、日本における「生命科学」創出に関わる。しだいに、生物を分子の機械ととらえ、その構造と機能の解明に終始することになった生命科学に疑問をもち、ゲノムを基本に生きものの歴史と関係を読み解く新しい知「生命誌」を創出。その構想を1993年、「JT生命誌研究館」として実現、副館長(~2002年3月)、館長(~2020年3月)を務める。その間、早稲田大学人間科学部教授、大阪大学連携大学院教授などを歴任(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
もくじ情報:1 なぜ私だけが生命誌でなければならないと思ったか(始まりはDNA―一九七〇年代;生命科学を創る―一九七〇年代;生命科学の展開―一九七〇年代後半から八〇年代前半;生命誌へと踏み出した一歩―一九八〇年代後半へ向けて);2 「生命誌研究館」を創る(ある日「生命誌研究館」という言葉が生まれて;研究館を始めるにあたって―準備室の開設;「生命誌絵巻」の誕生;マルティプレゼンテーション―研究…(続く)
もくじ情報:1 なぜ私だけが生命誌でなければならないと思ったか(始まりはDNA―一九七〇年代;生命科学を創る―一九七〇年代;生命科学の展開―一九七〇年代後半から八〇年代前半;生命誌へと踏み出した一歩―一九八〇年代後半へ向けて);2 「生命誌研究館」を創る(ある日「生命誌研究館」という言葉が生まれて;研究館を始めるにあたって―準備室の開設;「生命誌絵巻」の誕生;マルティプレゼンテーション―研究館コンセプトのお披露目;「生命誌研究館」の建設);3 生命誌研究館の日常―総合知を創るために(「生きている」を見つめる研究館の核―小さな生きものが語る物語を聞く;時間の芸術・音楽を生かす―生命誌の基本「ピーターと狼 生命誌版」);4 生命誌を支える豊かな心(「根っこ」と「翼」に込めた願い;アーティストとの共鳴―崔在銀・蔡國強;本を書くこと);5 対話から生まれた生命誌という総合知―生命誌的世界観(生命誌はすべての人の中にある;日常の中で生き、世界や自然を知る―哲学の基本;自然への向き合い方―科学は「誌」の方向に動きつつある;生命が誕生した地球という星;四〇億年ほど前に誕生した生命体;生きものの巣―自然と歴史を生かして棲む;つねに美しさを―自然とのかかわりの中で;芸術家との語らいが生む豊かな心;色とりどりの知恵の森へ;エピローグ―私が今いるところ、そしてこれから;あとがき;解説対談―生命誌研究館と私たち);特別附録