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内容紹介・もくじなど
著者プロフィール
長谷川 隆(ハセガワ タカシ)
元千葉県習志野市立袖ヶ浦西小学校校長。市内外の小・中学校等で37年間教職に携わる。退職後は市立公民館生涯学習相談員。市内外で伊藤音次郎や郷土史に関する講演活動を行う(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 長谷川 隆(ハセガワ タカシ)
元千葉県習志野市立袖ヶ浦西小学校校長。市内外の小・中学校等で37年間教職に携わる。退職後は市立公民館生涯学習相談員。市内外で伊藤音次郎や郷土史に関する講演活動を行う(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
もくじ情報:“伊藤音次郎”って誰だ?―八面六臂の大活躍をした温厚なチャレンジャー;伊藤音次郎が残した記録―「音次郎日記」「音次郎アルバム」明治末から昭和まで;大空を夢見た先人たち1―“海外編”神話の世界~ダ・ヴィンチの発想~19世紀の発明;大空を夢見た先人たち2―“日本編”江戸時代の挑戦~明治中期二宮忠八の発明;ライト兄弟、世界初飛行―ついに世界初有人動力飛行成功!1903年(明治36);少年が飛行家を決意す…(続く)
もくじ情報:“伊藤音次郎”って誰だ?―八面六臂の大活躍をした温厚なチャレンジャー;伊藤音次郎が残した記録―「音次郎日記」「音次郎アルバム」明治末から昭和まで;大空を夢見た先人たち1―“海外編”神話の世界~ダ・ヴィンチの発想~19世紀の発明;大空を夢見た先人たち2―“日本編”江戸時代の挑戦~明治中期二宮忠八の発明;ライト兄弟、世界初飛行―ついに世界初有人動力飛行成功!1903年(明治36);少年が飛行家を決意するまで―一人の丁稚の人生を変えた転機 明治24~43年;音次郎19歳で上京を決行―あこがれの奈良原三次のもとへ 明治43年(1910);臨時軍用気球研究会発足―陸海軍による組織的飛行機研究 明治42年(1909);日野・徳川大尉の初飛行―日本にも飛行機時代の萌芽 明治43年(1910);奈良原の自作機空を飛ぶ―音次郎、奈良原三次の助手になる 明治44年(1911);飛行家としての腕を磨く―稲毛で“鳳号”と共に 明治45年(1912)~大正3年(1914);外国人飛行家の妙技に学ぶ―続々来日する外国人飛行家に追いつけ 明治末~大正初;独立「伊藤飛行機研究所」―稲毛で飛行機製作と飛行訓練開始 大正4年(1915);独立第1号機「恵美号」―名機を生み出した音次郎の技術力 大正4年(1915);帝都訪問飛行に成功する―稲毛から海上往復55分間の大飛行 大正5年(1916);歓迎の渦「全国巡回飛行」―栃木を振り出しに恵美号7ヶ月の旅 大正5年(1916);緻密な設計者 音次郎―設計構想メモには機体構造、部品図満載 大正5年(1916);夜間飛行・恵美2型製作―新たな冒険、より優れた飛行機作り 大正6年(1917);美しくも儚い水上恵美号“3型”―流転のホールスカット80馬力搭載機 大正6年(1917);故郷大阪への訪問飛行―恵美2、3型機で故郷に錦を飾る 大正6年(1917)〔ほか〕