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内容紹介・もくじなど
著者プロフィール
ヘダーヤト,サーデク(ヘダーヤト,サーデク)
1903‐1951。1903年、イラン・テヘラン生まれ。テヘランの学校でヨーロッパ式の教育を受け、ベルギー、フランスへ遊学。イラン古来の伝統に深い関心を寄せる一方、ポーやカフカ、チェーホフなどの外国文学に傾倒、なかでもカフカについては自ら作品を(仏訳から)翻訳し、作品論を執筆している。1930年に第一短篇集『生埋め』を上梓し、以後短篇集『三滴の血』(32)、『明暗』(33)『野良犬』(42)、中篇小説『ハージー・アーガー』(45)などを刊行。インド滞在中に書き上げられた『盲目の梟』(37)は代表作として名高い。また、ハイヤーム『ルバイヤート』の小川…( ) ヘダーヤト,サーデク(ヘダーヤト,サーデク)
1903‐1951。1903年、イラン・テヘラン生まれ。テヘランの学校でヨーロッパ式の教育を受け、ベルギー、フランスへ遊学。イラン古来の伝統に深い関心を寄せる一方、ポーやカフカ、チェーホフなどの外国文学に傾倒、なかでもカフカについては自ら作品を(仏訳から)翻訳し、作品論を執筆している。1930年に第一短篇集『生埋め』を上梓し、以後短篇集『三滴の血』(32)、『明暗』(33)『野良犬』(42)、中篇小説『ハージー・アーガー』(45)などを刊行。インド滞在中に書き上げられた『盲目の梟』(37)は代表作として名高い。また、ハイヤーム『ルバイヤート』の小川亮作訳が底本とした選集を編んだことでも知られる。1951年に逗留先のパリでガス自殺を遂げた |
「人生には徐々に孤独な魂をむしばんでいく潰瘍のような古傷がある」―生の核心に触れるような独白で始まる代表作の中篇「盲目の梟」。筆入れの蓋に絵を描くことを生業とする語り手の男が、心惹かれた黒衣の乙女の死体を切り刻みトランクに詰めて埋めにいくシュルレアリスム的な前半部と、同じ語り手と思しい男が病に臥しての「妻殺し」をリアリスティックに回想する後半部とが、阿片と酒精、強烈なペシミズムと絶望、執拗に反復されるモチーフと妄想によって複雑に絡み合う―。ドストエフスキーやカ…(続く)
「人生には徐々に孤独な魂をむしばんでいく潰瘍のような古傷がある」―生の核心に触れるような独白で始まる代表作の中篇「盲目の梟」。筆入れの蓋に絵を描くことを生業とする語り手の男が、心惹かれた黒衣の乙女の死体を切り刻みトランクに詰めて埋めにいくシュルレアリスム的な前半部と、同じ語り手と思しい男が病に臥しての「妻殺し」をリアリスティックに回想する後半部とが、阿片と酒精、強烈なペシミズムと絶望、執拗に反復されるモチーフと妄想によって複雑に絡み合う―。ドストエフスキーやカフカ、ポーといった西欧文学と、仏教のニルヴァーナ、イランの神秘主義といった東洋思想とが融合した瞠目すべき表題作と、さまざまな傾向をもつ9つの短篇に加え、古都への旅を綴った紀行文『エスファハーンは世界の半分』を収める。