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内容紹介・もくじなど
内容紹介:昭和というひとつの時代の終わりを過ごした思春期の世代には時代に関わるような経験と呼べるものは何もなかった。殺伐とした東京での学生生活における閉塞感に捕らわれながらも、「ぼく」は本と70年代のロックと映画を通じて、心の拠り所を探り続けていた。ここに登場する『ブレードランナー』のレプリカントや『2001年宇宙の旅』のHAL、そして『ミツバチのささやき』といったメアリー・シェリー原作の『フランケンシュタイン』の血脈は近代の自我と、「ぼく」の心の在りかを問うものとして描かれている。風呂も電話もない東京での貧しい下宿生活。苦い思い出として過ぎ去ろうとしていた初恋の少女との再会。大学の演劇サーク…(続く)
内容紹介:昭和というひとつの時代の終わりを過ごした思春期の世代には時代に関わるような経験と呼べるものは何もなかった。殺伐とした東京での学生生活における閉塞感に捕らわれながらも、「ぼく」は本と70年代のロックと映画を通じて、心の拠り所を探り続けていた。ここに登場する『ブレードランナー』のレプリカントや『2001年宇宙の旅』のHAL、そして『ミツバチのささやき』といったメアリー・シェリー原作の『フランケンシュタイン』の血脈は近代の自我と、「ぼく」の心の在りかを問うものとして描かれている。風呂も電話もない東京での貧しい下宿生活。苦い思い出として過ぎ去ろうとしていた初恋の少女との再会。大学の演劇サークルで公演を予定していた『罪と罰』のラスコーリニコフとソーニャの物語を通じて実らせた恋だったが、やがて厳粛な現実のしがらみが二人の心を襲う。夏目漱石をはじめとする近代の文学が持つ人間の宿命に導かれるように、追放同然の大学の卒業後も「ぼく」は意味を見いだせない競争社会に身を投げ出してゆく。デヴィッド・ボウイの曲の「ぼくにできることは何もない」という言葉には自分を守り通した固有の時間がこめられており、誰に咎められることもない強さの証しとして引用されている。実際に、デヴィッド・ボウイはこの「スペース・オディティ」をきっかけに世界にはばたき、その後の音楽シーンもリードする存在になっていった。
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