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出版社名:扶桑社
出版年月:2025年10月
ISBN:978-4-594-10089-6
239P 19cm
三國、燃え尽きるまで厨房に立つ
三國清三/著
組合員価格 税込 1,584
(通常価格 税込 1,760円)
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内容紹介・もくじなど
内容紹介:37年間ほぼ満席だった「オテル・ドゥ・ミクニ」をたたみ、70歳にしてたった8席の店をオープンする僕の人生はまだこれから。フレンチの巨匠が「ミクニ」でやってきたこと、やれなかったこと今を遡ること40年前、三國清三が30歳でオープンした「オテル・ドゥ・ミクニ」。一度は潰れる寸前までいくものの、一億総グルメブームの波に乗り、予約の取れない人気店に。バブル崩壊、リーマンショック、東日本大震災、コロナ禍など、数々の困難を乗り越え、37年間ほぼ満席だった奇跡の名店。三國は料理人として、経営者として、「ミクニ」をどう育て、グループを大きくしてきたのか。激動の昭和、平成、令和を超えた、正面突破の生き…(続く
内容紹介:37年間ほぼ満席だった「オテル・ドゥ・ミクニ」をたたみ、70歳にしてたった8席の店をオープンする僕の人生はまだこれから。フレンチの巨匠が「ミクニ」でやってきたこと、やれなかったこと今を遡ること40年前、三國清三が30歳でオープンした「オテル・ドゥ・ミクニ」。一度は潰れる寸前までいくものの、一億総グルメブームの波に乗り、予約の取れない人気店に。バブル崩壊、リーマンショック、東日本大震災、コロナ禍など、数々の困難を乗り越え、37年間ほぼ満席だった奇跡の名店。三國は料理人として、経営者として、「ミクニ」をどう育て、グループを大きくしてきたのか。激動の昭和、平成、令和を超えた、正面突破の生きざまに迫る渾身の自伝。「オテル・ドゥ・ミクニ」は2022年末に惜しまれながら閉店---。同じ場所に2025年9月、カウンター8席だけの店「三國」がオープンする。ここは71歳の三國が、ひとりで切り盛りする店。いよいよ人生第二章。「僕は、来世でやろうとしたことを今世でやることにした」。
37年間ほぼ満席だった「オテル・ドゥ・ミクニ」をたたみ、71歳にしてたった8席の店をオープンする。僕の人生はまだこれから。激動の時代に第一線で活躍し続けた「ミクニ」がやってきたこと、今からやること。
もくじ情報:プロローグ 決意1982年 フランス料理修業からの帰国(僕はフランス料理を捨てるつもりで帰国した;料理人への一本道、前に進むことだけを考えた);第1章 創生1985年 四ツ谷に「オテル・ドゥ・ミクニ」開店(「ビストロ・サカナザ」のとんがった雇われシェフ;「オテル・ドゥ・ミクニ」のオーナーシェフになる ほか);第2章 飛躍1994年~ 新生「ミクニ」で時代の風に乗る(バブルが弾けるも、あえて店を大きくした;オーナーシェフとしての店づくりを始める ほか);第3章 挑戦1996年~ ミクニグループ多店舗化始まる(始まりは増毛の海「コートダジュール ミクニズ」;「ミクニ マルノウチ」は丸の内再開発の起爆剤に ほか);第4章 試練2003~2011年 経営の危機をどう乗り越えたか(原因不明のまま営業停止処分を受け入れた;高級料理店に来る人なんて誰もいなくなった ほか);第5章 勲章2007~2015年 まさかの星なし!?ミシュランとの決別(「ミクニ」に星はつかなかった;大学より名誉博士号、政府より勲章を授与された);第6章 進化2020年~ 最大の危機・コロナ禍で新たな決意をした(『ジャポニゼ』を出版した;コロナ禍が大きな転機となった ほか)
著者プロフィール
三國 清三(ミクニ キヨミ)
1954年北海道増毛町生まれ。中学卒業後、札幌グランドホテルや帝国ホテルで修業し、駐スイス日本大使館料理長に20歳で就任。その後名だたる三つ星レストランで腕を磨き、8年後に帰国。85年、東京・四ツ谷に「オテル・ドゥ・ミクニ」を開店。予約の取れないグランメゾンとなる。世界各地でミクニ・フェスティバルを開催するなど国際的にも活躍する一方で、子どもの食育活動やスローフード推進などにも尽力している。2020年にYouTubeチャンネルを開設。登録者数54万人の人気チャンネルとなり、Instagram18万人と合わせると72万人を超える(2025年8月現在)。22年、惜しま…(続く
三國 清三(ミクニ キヨミ)
1954年北海道増毛町生まれ。中学卒業後、札幌グランドホテルや帝国ホテルで修業し、駐スイス日本大使館料理長に20歳で就任。その後名だたる三つ星レストランで腕を磨き、8年後に帰国。85年、東京・四ツ谷に「オテル・ドゥ・ミクニ」を開店。予約の取れないグランメゾンとなる。世界各地でミクニ・フェスティバルを開催するなど国際的にも活躍する一方で、子どもの食育活動やスローフード推進などにも尽力している。2020年にYouTubeチャンネルを開設。登録者数54万人の人気チャンネルとなり、Instagram18万人と合わせると72万人を超える(2025年8月現在)。22年、惜しまれながらも「ホテル・ドゥ・ミニク」を閉店、25年、カウンター8席の「三國」を開店(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)