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内容紹介・もくじなど
著者プロフィール
鎌田 慧(カマタ サトシ)
1938年青森県生まれ。弘前高等学校卒業後に上京、零細工場、カメラ工場の見習工などをへて、1960年に早稲田大学第一文学部露文科に入学。卒業後、鉄鋼新聞社記者、月刊誌「新評」編集部をへてフリーに。1970年に初の単著『隠された公害:ドキュメントイタイイタイ病を追って』(三一新書)を刊行。以後、冤罪、原発、公害、労働、沖縄、教育など、戦後日本の闇にその根を持つ社会問題全般を取材し執筆、それらの運動に深く関わってきた。東日本大震災後の2011年6月には、大江健三郎、坂本龍一、澤地久枝らとさようなら原発運動を呼びかけ、2012年7月、東京・代々木公園で17万人の集会、88…() 鎌田 慧(カマタ サトシ)
1938年青森県生まれ。弘前高等学校卒業後に上京、零細工場、カメラ工場の見習工などをへて、1960年に早稲田大学第一文学部露文科に入学。卒業後、鉄鋼新聞社記者、月刊誌「新評」編集部をへてフリーに。1970年に初の単著『隠された公害:ドキュメントイタイイタイ病を追って』(三一新書)を刊行。以後、冤罪、原発、公害、労働、沖縄、教育など、戦後日本の闇にその根を持つ社会問題全般を取材し執筆、それらの運動に深く関わってきた。東日本大震災後の2011年6月には、大江健三郎、坂本龍一、澤地久枝らとさようなら原発運動を呼びかけ、2012年7月、東京・代々木公園で17万人の集会、880万筆の署名を集めた。2025年現在も、狭山事件の冤罪被害者・石川一雄さんの再審、無罪を求める活動などを精力的に行っている。主な著書、「反骨 鈴木東民の生涯」(1989年、講談社 新田次郎文学賞受賞)、『六ヶ所村の記録』(1991年、岩波書店 毎日出版文化賞受賞)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
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もくじ情報:第一部 教育工場の子どもたち(「教育工場」の子どもたち;死に至る管理教育;日の丸とコンピュータ;管理と非行;純粋培養の教師たち;校長の闘争;夜問高校に光あれ!;あとがき);第二部 いじめ自殺 12人の親の証言(遺された親たちは語る;いじめ自殺のあとで)
もくじ情報:第一部 教育工場の子どもたち(「教育工場」の子どもたち;死に至る管理教育;日の丸とコンピュータ;管理と非行;純粋培養の教師たち;校長の闘争;夜問高校に光あれ!;あとがき);第二部 いじめ自殺 12人の親の証言(遺された親たちは語る;いじめ自殺のあとで)