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内容紹介・もくじなど
著者プロフィール
村田 博文(ムラタ ヒロフミ)
1947年2月宮崎県生まれ。70年早稲田大学第一文学部卒業後、産経新聞社入社。77年財界研究所入社。88年総合ビジネス誌『財界』編集長、91年取締役、92年6月常務取締役、同年9月代表取締役社長兼主幹(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 村田 博文(ムラタ ヒロフミ)
1947年2月宮崎県生まれ。70年早稲田大学第一文学部卒業後、産経新聞社入社。77年財界研究所入社。88年総合ビジネス誌『財界』編集長、91年取締役、92年6月常務取締役、同年9月代表取締役社長兼主幹(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
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もくじ情報:第1章 還暦を機に起業、その時、下村を衝き動かしたものとは?;第2章 『人が人のお世話をすること』という介護の本質を押さえて;第3章 「先の先を読む」―。介護事業のあるべき姿を求めて;第4章 「人は能力ではなく熱意なんです。熱意のある人は伸びます」;第5章 『第三の人生』は人材育成にと基金を設立、相対的貧困世帯の子ども達を支援;第6章 戦争末期、両親の出身地・高知県宿毛に疎開、幼少期を宿毛で過ごす;第7章 小学5年まで宿毛で育ち、その後、神戸・御影に家族で引っ越し;第8章 大学時代は都市工学に関心を持ち、大阪・釜ヶ崎のスラム街で…(続く)
もくじ情報:第1章 還暦を機に起業、その時、下村を衝き動かしたものとは?;第2章 『人が人のお世話をすること』という介護の本質を押さえて;第3章 「先の先を読む」―。介護事業のあるべき姿を求めて;第4章 「人は能力ではなく熱意なんです。熱意のある人は伸びます」;第5章 『第三の人生』は人材育成にと基金を設立、相対的貧困世帯の子ども達を支援;第6章 戦争末期、両親の出身地・高知県宿毛に疎開、幼少期を宿毛で過ごす;第7章 小学5年まで宿毛で育ち、その後、神戸・御影に家族で引っ越し;第8章 大学時代は都市工学に関心を持ち、大阪・釜ヶ崎のスラム街で現地調査;第9章 「何でも見てやろう」―。大学卒業後に2年間で渡航費を貯め、全米訪問の旅へ;第10章 全米35州をバスで一周、自分の体で感じた米国とは;第11章 米国一周の旅の後、30歳で社長に就任。そこで『持続性のある経営』を模索;第12章 30歳で社長就任、「リニューアル」工事へと事業を転換;第13章 バブル経済崩壊、そして“失われた30年”を生き抜く経営哲学;第14章 60歳で「残された人生で社会貢献を」と介護事業を開拓;第15章 「人」との出会い、そして「熱意」が原動力に;第16章 祖父からの教えと経営者としての心構え;第17章 介護事業の可能性とこれからのチャーム・ケア