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内容紹介・もくじなど
著者プロフィール
宮本 常一(ミヤモト ツネイチ)
1907年(明治40)山口県周防大島に生まれる。柳田國男の「旅と伝説」を手にしたことから、柳田國男、澁澤敬三という生涯の師に出会い、民俗学の道を歩み始める。1939年(昭和14)澁澤の主宰するアチック・ミューゼアムの所員となり、1964年(昭和39)に武蔵野美術大学非常勤教授に就任(翌65年教授就任)するまで、在野の民俗学者として日本の津々浦々を歩き、離島や地方の農山漁村の生活を記録に残すと共に村々の生活向上に尽力した。1953年(昭和28)、全国の離島に所在する市町村及び離島を有する市町村による全国離島振興協議会設立(6月)に参画、8月幹事長、翌54年5月事…() 宮本 常一(ミヤモト ツネイチ)
1907年(明治40)山口県周防大島に生まれる。柳田國男の「旅と伝説」を手にしたことから、柳田國男、澁澤敬三という生涯の師に出会い、民俗学の道を歩み始める。1939年(昭和14)澁澤の主宰するアチック・ミューゼアムの所員となり、1964年(昭和39)に武蔵野美術大学非常勤教授に就任(翌65年教授就任)するまで、在野の民俗学者として日本の津々浦々を歩き、離島や地方の農山漁村の生活を記録に残すと共に村々の生活向上に尽力した。1953年(昭和28)、全国の離島に所在する市町村及び離島を有する市町村による全国離島振興協議会設立(6月)に参画、8月幹事長、翌54年5月事務局長就任(57年6月事務局長退任、63年11月幹事退任)。1981年(昭和56)1月に73歳で没するまで、離島振興運動の指導者として、また理論的・精神的支柱として、離島の生活と産業、そして文化の向上に注力し続けた。また、1966年(昭和41)に日本観光文化研究所を設立、後進の育成にも努めた。宮本の遺品、著作・蔵書、写真類は遺族から山口県東和町(現・周防大島町)に寄贖され、宮本常一記念館(周防大島文化交流センター)が所蔵している(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
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もくじ情報:子供をさがす;子供の世界;萩の花;附記;未来が絶望であるからこそ(柳原一〓)
もくじ情報:子供をさがす;子供の世界;萩の花;附記;未来が絶望であるからこそ(柳原一〓)