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内容紹介・もくじなど
著者プロフィール
和田 裕弘(ワダ ヤスヒロ)
1962年(昭和37年)、奈良県に生まれる。戦国史研究家。織豊期研究会会員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 和田 裕弘(ワダ ヤスヒロ)
1962年(昭和37年)、奈良県に生まれる。戦国史研究家。織豊期研究会会員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
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三重県西部の伊賀市・名張市エリアはかつて伊賀国と呼ばれた。戦国時代、この小国は統治者がおらず、在地領主たちが割拠していた。一五七九年、織田信長の次男信雄は独断でこの地に侵攻。挙国体制で迎え撃った伊賀衆は地の利を生かして巧みに抗戦し、信雄は惨敗を喫した。信長から厳しく叱責された信雄は翌々年、大軍勢を率いて再び襲いかかる―。文献を博捜した著者が、強大な外敵と伊賀衆が繰り広げた攻防を描く。
もくじ情報:序章 伊賀国の特殊性;第1章 乱勃発前夜;第2章 織田信長と伊賀…(続く)
三重県西部の伊賀市・名張市エリアはかつて伊賀国と呼ばれた。戦国時代、この小国は統治者がおらず、在地領主たちが割拠していた。一五七九年、織田信長の次男信雄は独断でこの地に侵攻。挙国体制で迎え撃った伊賀衆は地の利を生かして巧みに抗戦し、信雄は惨敗を喫した。信長から厳しく叱責された信雄は翌々年、大軍勢を率いて再び襲いかかる―。文献を博捜した著者が、強大な外敵と伊賀衆が繰り広げた攻防を描く。
もくじ情報:序章 伊賀国の特殊性;第1章 乱勃発前夜;第2章 織田信長と伊賀衆の関係;第3章 北畠信雄の独断と挫折―第一次天正伊賀の乱;第4章 織田軍の大侵攻―第二次天正伊賀の乱;第5章 伊賀衆残党の蜂起―第三次天正伊賀の乱;終章 近世の幕開き