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出版社名:勁草書房
出版年月:2018年8月
ISBN:978-4-326-15456-2
261,10P 20cm
カント批判 『純粋理性批判』の論理を問う
冨田恭彦/著
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カントの超越論的観念論を一七~一八世紀の精神史の流れの中で捉え直し、愛着を持ちつつも神格化を排してその実像を明らかにする。
カントの超越論的観念論を一七~一八世紀の精神史の流れの中で捉え直し、愛着を持ちつつも神格化を排してその実像を明らかにする。
内容紹介・もくじなど
「時代の子」としてのカント。その実像とは―カントの超越論的観念論を17~18世紀の精神史の流れの中で捉え直し、明証必然的な理論を標榜しつつも、実は自然科学の知見を密かな基盤としていたことを明らかにする。
もくじ情報:第1章 「独断のまどろみ」からの不可解な「覚醒」―「唯一の原理」への奇妙な道筋;第2章 ロックの反生得説とカントの胚芽生得説―カントが言うほどカントとロックは違うのか?;第3章 カントはロックとヒュームを超えられたのか?―アプリオリ化の実像;第4章 そもそも「演繹」は必要だったのか?―自身の「経験」概念の絶対化;第5章 判断とカテゴリーの恣意的な扱い―カントの隠れ自然主義;第6章 …(続く
「時代の子」としてのカント。その実像とは―カントの超越論的観念論を17~18世紀の精神史の流れの中で捉え直し、明証必然的な理論を標榜しつつも、実は自然科学の知見を密かな基盤としていたことを明らかにする。
もくじ情報:第1章 「独断のまどろみ」からの不可解な「覚醒」―「唯一の原理」への奇妙な道筋;第2章 ロックの反生得説とカントの胚芽生得説―カントが言うほどカントとロックは違うのか?;第3章 カントはロックとヒュームを超えられたのか?―アプリオリ化の実像;第4章 そもそも「演繹」は必要だったのか?―自身の「経験」概念の絶対化;第5章 判断とカテゴリーの恣意的な扱い―カントの隠れ自然主義;第6章 空間の観念化とその代償―議論の浅さとその不整合の意味するもの
著者プロフィール
冨田 恭彦(トミダ ヤスヒコ)
1952年香川県に生まれる。1981年京都大学大学院文学研究科博士後期課程研究指導認定退学。博士(文学)。ハーバード大学客員研究員、京都大学大学院人間・環境学。研究科教授、同研究科長などを経て、京都大学名誉教授、同志社大学嘱託講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
冨田 恭彦(トミダ ヤスヒコ)
1952年香川県に生まれる。1981年京都大学大学院文学研究科博士後期課程研究指導認定退学。博士(文学)。ハーバード大学客員研究員、京都大学大学院人間・環境学。研究科教授、同研究科長などを経て、京都大学名誉教授、同志社大学嘱託講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

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