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出版社名:春秋社
出版年月:2020年2月
ISBN:978-4-393-13430-6
293P 20cm
〈仏教3.0〉を哲学する バージョン2
藤田一照/著 永井均/著 山下良道/著
組合員価格 税込 1,881
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自己は仏というスローガンばかりが先行し、メソッドのはっきりしない従来の日本の仏教「仏教1.0」、メソッドははっきりしているがテクニックとスキルに走るテーラワーダ仏教「仏教2.0」、これらを超えた〈仏教3.0〉を目指す二人の仏教僧と、一人の哲学者の鼎談集。大きな反響のあった『〈仏教3.0〉を哲学する』のコンセプトを引き継いで、今回は仏教の実践における他者と慈悲の問題を、瞑想実践での体験や哲学の理論を通して論じる。
自己は仏というスローガンばかりが先行し、メソッドのはっきりしない従来の日本の仏教「仏教1.0」、メソッドははっきりしているがテクニックとスキルに走るテーラワーダ仏教「仏教2.0」、これらを超えた〈仏教3.0〉を目指す二人の仏教僧と、一人の哲学者の鼎談集。大きな反響のあった『〈仏教3.0〉を哲学する』のコンセプトを引き継いで、今回は仏教の実践における他者と慈悲の問題を、瞑想実践での体験や哲学の理論を通して論じる。
内容紹介・もくじなど
“仏教瞑想”と“哲学”が出会うとき。瞑想とは何か、他者とは誰か、そして慈悲とは。“仏教3.0”をさらにバージョンアップ。“宗教”の未来を切り拓く、衝撃の鼎談集!
もくじ情報:第1章 瞑想と慈悲と他者をめぐって(テーラワーダと“仏教2・0”;瞑想体験の意味するもの;「形相と質料」から「本質と実存」へ―“私”と第五図によせて;他者性と“私”という矛盾;他者へ向かう―梵天歓請・発願利生・慈悲);第2章 「坐禅は自己の正体である」(「坐禅は自己の正体である」;第五図の坐禅の人―マインドフルネスと禅;二種類の今と私;他者という謎;超越的か超越論的か―プラトン的・アリストテレス的・カント的;生きる方向性―…(続く
“仏教瞑想”と“哲学”が出会うとき。瞑想とは何か、他者とは誰か、そして慈悲とは。“仏教3.0”をさらにバージョンアップ。“宗教”の未来を切り拓く、衝撃の鼎談集!
もくじ情報:第1章 瞑想と慈悲と他者をめぐって(テーラワーダと“仏教2・0”;瞑想体験の意味するもの;「形相と質料」から「本質と実存」へ―“私”と第五図によせて;他者性と“私”という矛盾;他者へ向かう―梵天歓請・発願利生・慈悲);第2章 「坐禅は自己の正体である」(「坐禅は自己の正体である」;第五図の坐禅の人―マインドフルネスと禅;二種類の今と私;他者という謎;超越的か超越論的か―プラトン的・アリストテレス的・カント的;生きる方向性―「私」から“私”へ・“私”から「私」へ);第3章 慈悲と“仏教3・0”(世界の超越論的構成と「自己曼画」;カテゴリーは離脱可能か―解説と覚りと慈悲;純粋悪と自由と慈悲の問題;慈悲のありか;本来性と現実性のダイナミズム―慈悲の瞑想をめぐって)
著者プロフィール
藤田 一照(フジタ イッショウ)
禅僧。1954年愛媛県生まれ。東京大学大学院教育学研究科博士課程を中退し、曹洞宗僧侶となる。87年渡米、禅の指導・普及に従事、2005年帰国。曹洞宗国際センター前所長。オンライン禅コミュニティ磨〓寺主宰
藤田 一照(フジタ イッショウ)
禅僧。1954年愛媛県生まれ。東京大学大学院教育学研究科博士課程を中退し、曹洞宗僧侶となる。87年渡米、禅の指導・普及に従事、2005年帰国。曹洞宗国際センター前所長。オンライン禅コミュニティ磨〓寺主宰

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