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出版社名:山と溪谷社
出版年月:2021年12月
ISBN:978-4-635-04929-0
349P 15cm
ヒマラヤの高峰 8000メートル峰14座初登頂の記録/ヤマケイ文庫
深田久弥/著
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内容紹介・もくじなど
『日本百名山』の著者として知られる深田久弥さんはヒマラヤの研究家でもあった。1958年にはジュガール・ヒマラヤに赴き、現地レポートを雑誌に連載。以来12年間にわたって「世界の屋根」の登攀の歴史を雑誌や書籍に紹介し続けてきた。ヒマラヤ八千メートル峰14座初登頂までの人と山とのかかわりを克明に調べて記した深田久弥の遺作が、没後50年目にヤマケイ文庫でよみがえる。
もくじ情報:ヒマラヤ概観;エヴェレスト 八八四八m;ケー・トゥー 八六一一m;カンチェンジュンガ 八五九八m;ローツェ 八五一六m;マカルー 八四八五m;チョ・オユー 八一八八m;ダウラギリ1峰 八一六七m;マナスル 八一六三m;ナンガ・…(続く
『日本百名山』の著者として知られる深田久弥さんはヒマラヤの研究家でもあった。1958年にはジュガール・ヒマラヤに赴き、現地レポートを雑誌に連載。以来12年間にわたって「世界の屋根」の登攀の歴史を雑誌や書籍に紹介し続けてきた。ヒマラヤ八千メートル峰14座初登頂までの人と山とのかかわりを克明に調べて記した深田久弥の遺作が、没後50年目にヤマケイ文庫でよみがえる。
もくじ情報:ヒマラヤ概観;エヴェレスト 八八四八m;ケー・トゥー 八六一一m;カンチェンジュンガ 八五九八m;ローツェ 八五一六m;マカルー 八四八五m;チョ・オユー 八一八八m;ダウラギリ1峰 八一六七m;マナスル 八一六三m;ナンガ・パルバット 八一二六m;アンナプルナ1峰 八〇九一m;ガッシャブルム1峰(ヒドゥン・ピーク) 八〇八〇m;ブロード・ピーク 八〇五一m;ガッシャブルム2峰 八〇三四m;シシャ・パンマ(ゴザインタン) 八〇二七m
著者プロフィール
深田 久弥(フカダ キュウヤ)
1903(明治36)年3月11日、石川県江沼郡大聖寺町(現加賀市)に生まれる。第一高等学校を経て東京帝国大学文学部哲学科入学。高校・大学時代に丹沢、大菩薩、奥秩父、八ヶ岳、朝日連峰、尾瀬、薬師岳などに登る。その頃、『新思潮』ほかの同人誌に参加。東大在学中に出版の改造社入社、編集生活を送る。1935(昭和10)年、小説『津軽の野づら』を刊行。文壇生活を続けながら山登りは絶えることがなかった。1944年、陸軍少尉で中国戦線へ。1946年復員。戦後は、登山・探検関係を中心に執筆活動。1965(昭和40)年、『日本百名山』で、第16回読売文学賞(評論・伝記部門)を受賞。…(続く
深田 久弥(フカダ キュウヤ)
1903(明治36)年3月11日、石川県江沼郡大聖寺町(現加賀市)に生まれる。第一高等学校を経て東京帝国大学文学部哲学科入学。高校・大学時代に丹沢、大菩薩、奥秩父、八ヶ岳、朝日連峰、尾瀬、薬師岳などに登る。その頃、『新思潮』ほかの同人誌に参加。東大在学中に出版の改造社入社、編集生活を送る。1935(昭和10)年、小説『津軽の野づら』を刊行。文壇生活を続けながら山登りは絶えることがなかった。1944年、陸軍少尉で中国戦線へ。1946年復員。戦後は、登山・探検関係を中心に執筆活動。1965(昭和40)年、『日本百名山』で、第16回読売文学賞(評論・伝記部門)を受賞。ヒマラヤ、シルクロード研究にも力を注ぐ。1971(昭和46)年3月21日、茅ヶ岳にて脳卒中で急逝(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

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