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内容紹介・もくじなど
著者プロフィール
中村 幸弘(ナカムラ ユキヒロ)
昭和8(1933)年、千葉県に生まれ、國學院大學文学科卒業後、昭和31(1956)年から15年間、千葉県立佐原第一高等学校・同県立大原高等学校・國學院高等学校で教諭として勤務。昭和46(1971)年、國學院大學専任講師・助教授・教授を経て、平成16(2004)年、定年退職。博士(文学)・國學院大學名誉教授。続いて弘前学院大学教授の後、平成19(2007)年から國學院大學栃木短期大學教授(学長)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 中村 幸弘(ナカムラ ユキヒロ)
昭和8(1933)年、千葉県に生まれ、國學院大學文学科卒業後、昭和31(1956)年から15年間、千葉県立佐原第一高等学校・同県立大原高等学校・國學院高等学校で教諭として勤務。昭和46(1971)年、國學院大學専任講師・助教授・教授を経て、平成16(2004)年、定年退職。博士(文学)・國學院大學名誉教授。続いて弘前学院大学教授の後、平成19(2007)年から國學院大學栃木短期大學教授(学長)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
もくじ情報:否定された「浮きし脂」という訓み(『古事記』初発の神々)原文「浮脂」が、いま、「浮ける脂」「浮かべる脂」などと訓まれるのは、どうしてか。;未然形接続ではなかった接尾語「く」(『古事記』海幸・山幸)「言はく」の「く」が、どうして「言ひしく」「言ひつらく」ともなって現れるのか。;「佩ける大刀」と「佩けましを」と(『古事記』中巻・歌謡)「佩く」の自動詞・他動詞の別と名詞化し…(続く)
もくじ情報:否定された「浮きし脂」という訓み(『古事記』初発の神々)原文「浮脂」が、いま、「浮ける脂」「浮かべる脂」などと訓まれるのは、どうしてか。;未然形接続ではなかった接尾語「く」(『古事記』海幸・山幸)「言はく」の「く」が、どうして「言ひしく」「言ひつらく」ともなって現れるのか。;「佩ける大刀」と「佩けましを」と(『古事記』中巻・歌謡)「佩く」の自動詞・他動詞の別と名詞化した「(御)佩刀」とについて詳しい説明を。;「野守は見ずや」の「見ずや」(『万葉集』(1)二〇)額田王の「野守は見ずや」の「見ずや」は、疑問か、反語か。その現代語訳は。;「夏きたるらし」の「きたる」(『万葉集』(1)二八)その「きたる」は、一語か、二語か。『新古今和歌集』での「来にけらし」は。;「人こそ見らめ」の「見らめ」(『万葉集』(2)一三一)「人こそ見らめ」の「見」は、未然形か、連用形か。「る」が脱落したのか。;「いさよふ波の行く方知らずも」の「の」(『万葉集』(3)二六四)下の句「いさよふ波の行く方知らずも」の「の」は、主格か、連体格か。その訳は。;「古思ほゆ」の「思ほゆ」の「ゆ」(『万葉集』(3)二六六)「思ほゆ」「聞こゆ」「見ゆ」などの「ゆ」は、どういう要領で説明したらよいか。;「人に厭はえ」「人に憎まえ」の「え」(『万葉集』(5)八〇四)その「え」は、「れ(→る)」の前身なのか。その活用する行は、何行なのか。;「すみれ摘みにと来し我そ」の「来し」(『万葉集』(8)一四二四)その「来し」の「来」は、未然形か、連用形か。その判断の手掛かりは、何か。〔ほか〕