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内容紹介・もくじなど
著者プロフィール
三浦 綾子(ミウラ アヤコ)
1922年4月25日、北海道旭川市に生まれる。1939年、高等女学校を卒業後、尋常小学校の代用教員を務め、45年に敗戦を迎える。教師を辞した翌46年、肺結核を発病、13年に及ぶ闘病生活が始まる。48年、幼なじみの前川正と再会。52年、脊椎カリエスと診断される。同年、前川に導かれ病床でキリスト教の洗礼を受ける。54年、前川は結核の手術ミスで帰らぬ人となる。55年、三浦光世が初めて綾子を病床に見舞う。59年、光世と結婚し、旭川市内で雑貨店を開く。64年、朝日新聞社の1千万円懸賞小説に『氷点』が1位入賞し、新聞連載がスタート。65年に『氷点』が出版され、作家としての地位…( ) 三浦 綾子(ミウラ アヤコ)
1922年4月25日、北海道旭川市に生まれる。1939年、高等女学校を卒業後、尋常小学校の代用教員を務め、45年に敗戦を迎える。教師を辞した翌46年、肺結核を発病、13年に及ぶ闘病生活が始まる。48年、幼なじみの前川正と再会。52年、脊椎カリエスと診断される。同年、前川に導かれ病床でキリスト教の洗礼を受ける。54年、前川は結核の手術ミスで帰らぬ人となる。55年、三浦光世が初めて綾子を病床に見舞う。59年、光世と結婚し、旭川市内で雑貨店を開く。64年、朝日新聞社の1千万円懸賞小説に『氷点』が1位入賞し、新聞連載がスタート。65年に『氷点』が出版され、作家としての地位を確立。以後、創作、講演、取材旅行など旺盛な作家活動を展開。血小板減少症、重度の帯状疱疹、直腸がん、パーキンソン病と病を得るも、夫光世による口述筆記で執筆活動を続けた。98年、旭川市に三浦綾子記念文学館開館。1999年10月12日、召天。享年77(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
もくじ情報:聖書と私;「何か捨てることから始めないと…」;墓を尋ねて;ミス・リーパーの来訪;誰のための命;生き残るということ;「生き甲斐」寸感;生きる道は幾つでもある;「小さなことでしょうか」;人の力を引き出す言葉;『孤独のとなり』あとがき;わたしの病床体験;幼なき日の祈りと歌;言いはる罪;自分をたのむ愚かさ;眠られぬ夜に思うこと;祈ってください;神の領分;弱く生んですまなかった。;人間は尽くすに価しない;小説『泥流地帯』を回顧して;太宰治;そこに立つ;教科書塗りつぶした屈辱;信仰随筆;「きけわだつみの声」―戦争と平和;ク…(続く)
もくじ情報:聖書と私;「何か捨てることから始めないと…」;墓を尋ねて;ミス・リーパーの来訪;誰のための命;生き残るということ;「生き甲斐」寸感;生きる道は幾つでもある;「小さなことでしょうか」;人の力を引き出す言葉;『孤独のとなり』あとがき;わたしの病床体験;幼なき日の祈りと歌;言いはる罪;自分をたのむ愚かさ;眠られぬ夜に思うこと;祈ってください;神の領分;弱く生んですまなかった。;人間は尽くすに価しない;小説『泥流地帯』を回顧して;太宰治;そこに立つ;教科書塗りつぶした屈辱;信仰随筆;「きけわだつみの声」―戦争と平和;クリスマスに思う;誰に求むべきか;『この病をも賜ものとして 生かされてある日々1』あとがき