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内容紹介・もくじなど
著者プロフィール
大塚 信一(オオツカ ノブカズ)
1939年、東京に生まれる。63年、国際基督教大学卒業。同年、岩波書店入社。雑誌『思想』編集部をスタートに、岩波新書(青版・黄版)、「岩波現代選書」「叢書・文化の現在」「新講座・哲学」など数々のシリーズ・講座・著作集を世に送る。また84年、編集長として季刊誌『へるめす』を創刊、学問・芸術・社会にわたる知の組み換えと創造を図る。97年~2003年、代表取締役社長。現在、つくば伝統民家研究会(古民家再生コンサルティング等)代表、社会福祉法人日本点字図書館理事、東アジア出版人会議最高顧問(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 大塚 信一(オオツカ ノブカズ)
1939年、東京に生まれる。63年、国際基督教大学卒業。同年、岩波書店入社。雑誌『思想』編集部をスタートに、岩波新書(青版・黄版)、「岩波現代選書」「叢書・文化の現在」「新講座・哲学」など数々のシリーズ・講座・著作集を世に送る。また84年、編集長として季刊誌『へるめす』を創刊、学問・芸術・社会にわたる知の組み換えと創造を図る。97年~2003年、代表取締役社長。現在、つくば伝統民家研究会(古民家再生コンサルティング等)代表、社会福祉法人日本点字図書館理事、東アジア出版人会議最高顧問(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
この見事な半生をアレンジしたものは誰か?丹波篠山の小宇宙から、何ものかに導かれるようにアメリカ・UCLAへ、さらにはチューリッヒ・ユング研究所へ。厳しくも不可思議な研鑽の日々。日本人初のユング派分析家が誕生するまでを、ともに物語をつむいだ編集者が活きいきと描く。
もくじ情報:序章 物語のはじまり(ある新書の依頼;的中した戦略);第1章 丹波篠山に生まれて(両親の人…(続く)
この見事な半生をアレンジしたものは誰か?丹波篠山の小宇宙から、何ものかに導かれるようにアメリカ・UCLAへ、さらにはチューリッヒ・ユング研究所へ。厳しくも不可思議な研鑽の日々。日本人初のユング派分析家が誕生するまでを、ともに物語をつむいだ編集者が活きいきと描く。
もくじ情報:序章 物語のはじまり(ある新書の依頼;的中した戦略);第1章 丹波篠山に生まれて(両親の人となりと弟の死;篠山、少年たちの宇宙;中学時代の本との出会い;陸軍士官学校を断り神戸工専へ;京大数学科のころ ほか);第2章 心理学者への道(立身出世主義でなく;教師兼大学院生;ロールシャッハ・テストから臨床心理学へ;ロジャーズのカウンセリング;アメリカ留学の決心 ほか);第3章 アメリカ体験(英語の特訓;クロッパーの背後にユングがいる;分析料は一ドル;奇跡的な道筋;リサーチ・アシスタントとして ほか);第4章 ユング研究所の日々(家一軒分の旅費;スイスの田舎暮らし;マイヤー先生の言葉;フォン・フランツの昔話の講義;精神分析の風土 ほか);第5章 西欧と日本―神話研究に向けて(日本神話を英語で書く;アマテラスの誕生とスサノヲの追放;世界の始まりとイザナギの魔術的逃走;スサノヲの冒険;「太陽の女神」の比較神話学 ほか);終 章 新たな物語のはじまり(箱庭療法の紹介;口頭試問の波瀾;生き方のレベルの体験;心理療法の核心;約束を実行する)